ユングとフロイト
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875 - 1961)
(wikipediaより)
- ユングは、内向・外向の性格類型ないしはコンプレックスの心理学、すなわち分析心理学の創始者として有名である。
- ユングの精神病理学の分野での広汎な仕事を、彼の精神(心)の構造と力動の学としての分析心理学と、精神(心)の治療法としての精神(心理)療法とを有機的に統合するものとして理解するとき、実に大切なものを数多く残してくれている。。
- ユングの名は、フロイトの弟子として挙げられ、しかも大抵アードラーと並んで、フロイトからの分派としてのみ記憶されることが多かった。
- 力動精神医学の歴史を史実に基づき、各学派の学問の内的発展の側から捉えて『無意識の発見』なる大著を世に問うたカナダの精神医学者アンリ・エレンバーガーが指摘しているように、ユングはフロイトと出逢う前に、すでに精神医学者として名をなしており、しかもチューリヒ大学教授オイゲン・プロイラーの下にあって、プロイラーからも独立した独自の考えを持っていたのである。だからこそ、当時正当な学会においてほとんど見向きもされなかった精神分析を評価し、フロイトの考え、とくに、無意識の存在と精神症状の意味についての考えや夢の重要性に賛同して彼に接近した際、フロイトは「これでこの学問もユダヤ人だけのものでなく、世界のものになった」と喜び、躊躇することなくユングを後継者と目したのであった。
- 2人は1909年には米国のクラーク大学創立20周年記念に招待されて講演を行い名誉法学博士号を受け、翌年にはユングはチューリヒ大学で「精神分析入門」の講義をはじめている。1911年にはフロイトの推薦でユングは国際精神分析協会の初代会長になり、また『精神分析学中央誌』の編集長もしている。
- 1913年2人が別れて以後、フロイト自身もフロイト派の人々も「ユングはフロイトに背き、勝手に分派を形成した」と批判的に、というより否定的に述べているが、ユングの側からすればフロイトの価値は高く評価しつつも、無意識の内容とか性の理論とかのフロィトの理論のもつ問題点には、当初から批判的だったのであり、後に袂を分かたざるを得なかったのもある意味で必然の結果であって、この点は決して誤解されてはならない。
- ユングはフロイトと離れてからも、終生フロイトヘの尊敬を抱き続けており、自らの樹立した分析心理学に関しても謙虚な姿勢をくずさなかった。
- 彼は、彼の学問がそれまで精神や心に対してなされてきたどれとも違っており、身体の病気には身体の病理とそれに基づく身体の治療法があるように、精神(心)には、それらとは全く異なった体系と理論からなる精神(心)の病理と精神(心)の治療法があることを明確に主張してきたのである。