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ビンスワンガーの人間形成と思想形成

ビンスワンガーの人間形成と思想形成

 

ルートウィヒ・ビンスワンガー(Ludwig Binswanger、1881 - 1966年)

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(bibliofilosofiamilanoより)

  • スイスの生んだ精神医学の巨匠ルートウィヒ・ビンスワンガーは、その主著『精神分裂病』(1957)をはじめ、論文集『現象学人間学』(1947)や晩年の『メランコリーと躁病』(1960)などが邦訳され、日本でも現存在分析の創始者として知られている。
  • 現存在分析は、フロイト精神分析ハイデガーの現存在分析論とにそれぞれ近似の表現であるが、ビンスワンガーはこれらの思想に限りなく接近しながら、そこに明瞭な一線を画して独自の学問的方向を築き上げた。
  • 19世紀の自然科学的方法に対する反立として今世紀初頭から精神医学の領域で起こった人間学的動向は、まずフロイトによって準備され、ヤスパースによって精錬され、フッサールによって方法化され、ハイデガーによって深化されたが、この思想の変遷をひとりで縦断的に生きつづけたのがビンスワンガーだった。

 

  • ビンスワンガーは1881年にスイス、トゥルガウ州のクロイツリングンで生まれた。家は代々高名な内科医や精神科医を送り出している名門である。父親は、祖父が創立した精神病院の院長であり、彼の叔父、オットー・ビンスワンガーはイェーナ大学精神科の教授であった。
  • 1904年にはローザンヌで医学の勉強を始め、ドイツの名門ハイデルベルク大学で尊敬する精神医学の最初の師ボネファー教授に接し、翌1905年には母国のチューリヒにもどり、プロイラー教授に学んだ。当時は、精神分析という「精神的運動」のさなかにあり、プロイラーを中心として、先輩のアーブラハム、同僚のマイアーらのほか、臨床医長のユングがいた。
  • このユングから学位論文のテーマとして「連想実験における精神電気反射現象」を与えられ、1907年には、チューリヒ大学から学位をさずけられた。1907年から約30年間におよぶフロイトとの友情もユングの仲立ちによる。同年に、結婚して、クロイツリングンの病院で父の片腕として働くが、翌1908年には、叔父O・ビンスワンガー教授のもとで助手として働くことになり、その間に精神分析を適用したヒステリーの症例研究などを発表している。
  • 当時のドイツでは、ほとんどすべての精神医学者たちがフロイトに対して無理解な攻撃を加えていたが、その中で叔父のO・ビンスワンガーはフロイトの意義を認める少数派であり、最初の師ボネファーも分析的研究方向の正当さを例外的に認めていた。こうして、ボネファー、プロイラー、O・ビンスワンガーという3人の精神分析理解者のもとで育ったうえに、1910年には、精神分析の国際的統合体が会長ユングのもとにチューリヒで組織され、ビンスワンガーの学問的態度はますます精神分析への強い傾斜をおびていく。
  • 同年父が死亡し、30歳のビンスワンガーはそのあとを継いで院長となり、精神分析を実地に応用することを公表した。当時、彼はまだ「ほとんどすべての患者に分析をほどこさねばならない」と信じており、このあとの10年間は病院の業務と分析とで多忙な毎日を送るようになる。
  • 最初の著書『一般心理学の諸問題への入門』(1921)は、彼のふたりの師プロイラーとフロイトに最大の敬意をこめて捧げられた。この『入門』は、1906年フロイトヘの強い傾斜をもって始まったビンスワンガーの精神医学が1910年代の実践と理論を経て到達した前半生の総決算であり、同時に、現象学的研究へと旋回していく1920年代の序曲ともなっている。
  • 現象学的方向が明瞭に打ち出されたのは1922年スイス精神医学会で行なった「現象学について」の報告である。彼の報告のあとで、精神医学の領域へ現象学的方法をはじめて適用した研究「分裂病性メランコリーの一例の心理学的研究と現象学的分析」がミンコフスキーによって講演された。「ここでベルクソンフッサールの弟子とがはじめて一肩をならべた」わけで、ふたりの友情もこれ以後終生続くのである。
  • 『入門』や「現象学」はフッサールの眼にもとまり、翌23年には彼とはじめて会って、「思想家としてのフッサールから強い印象を受けたばかりでなく、人間としての彼からも衝撃を与えられた」。ここで思い出すのだが、フッサールと会ってむしろ幻滅を感じたというヤスパースの態度とはまさに対照的である。フッサール現象学の深い滲透はいよいよビンスワンガーをして、歴史的に展開する主体としての人間の現象学的把握へと向かわせる。ここでは「生命機能と内的生活史」(1928)がひとつの到達点としてきわだっている。
  • 1920年以後、ハイデガーの現存在分析論に立脚した人間存在への接近が試みら、フッサール現象学的方法に拠ってはいるが、「世界内存在」としての現存在というハイデガー的把握の基礎に立って、人間存在に固有な「上昇と落下」の人間学的本質特徴を呈示している。
  • 「夢と実存」(1920)のあと、「観念奔逸」(1931-2)、「精神病理学における空間問題」(1932)などを発表し、現存在分析と呼ばれる自分自身の方法を基礎づけていく。
  • 1940年以後は、一方で精神病、とりわけ精神分裂病の本質をとらえようという精神医学的研究を重ね、他方でそれの基礎となる人間論を理論的に展開していく。こうして、前者の成果として『精神分裂病』(1944-53)と『失敗した現存在の三形式』(1949-56) が生まれ、後者の成果として大著『人間的現存在の根本形式と認識』(1942)が生まれる。
  • 1956年前後、ビンスワンガーはふたたびフッサールの遺稿集に認められる先験的・自我論的現象学への関心をもつようになり、それをもとにして1960年『メランコリーと躁病』を世に出し、1965年に『妄想』を発表したが、これが彼の生前に出した最後の書となった。

 

宮本忠雄:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)