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サリヴァンの経歴

サリヴァンの経歴

  • サリヴァンは1892年、ニューヨーク州中央部のノーヴィッチに生まれている。
  • 1911年シカゴ大学医学部を卒業後、シカゴのある分析医から、教育分析を受けたといわれている。
  • 1922年、首都ワシントンにきて、ホワイト、マイヤーらの影響を受け精神分析研究に傾倒し、クララ・トンプソンと出会い、彼女から教育分析を受けたともいわれる。彼女との友情は終生続いた。
  • 1923年、プラット病院に移り、以後10年間入院中の分裂病者に対する積極的な精神療法的接近が試みられた。それまで神経症者に対するものであったフロイト精神分析の手法に、種々の修正を試みつつ、独創的な方法を講じていった。
  • 1924年頃から早くもこの病院での経験を学会に発表しはじめ、まもなく名声を知られるに至った。サリヴァンの実験ともいえる小グループのシチュエーショナルな治療方法には、文化人類学者達にも関心を寄せられた。
  • 1930年、ニューヨークのパーク・アヴェニューで開業した。これには2つの理由があり、分裂病の解明のためには強迫神経症の研究が不可欠であると考えるようになったからである。彼によれば、強迫症者とは前青年期において、分裂病の発病の危機をたまたま免れた人であり、かつ今日の文化に遍在的な分裂症発病の危険に対処するだけの防衛機構をすでに身につけている人なのであった。もうひとつの理由は、サフィア等、文化人類学者との交流を一層密にするためであったらしい。
  • 1934年事実、ウィリアム・アランソン・ホフイト精神医学財団が形成せられ、1938には、雑誌「Psychiatry」が刊行されその編集に参画し、そして彼が主宰者的立場に立つようになるのである。
  • 1943年にはフロムやトンプソンと共に、ウィリアム・アランソン・ホワイト精神分析研究所を作っている。
  • 1939年のホワイト財団記念講演でのConception of Modern Psychiatryが翌1940年に刊行され、これが彼の生存中の唯一の書物として残ることになった。
  • 1942年から1946年にかけての4年間は、チェストナット・ロッジ病院で専門家対象の講義と討論が精力的に行われた。これらの講義は、彼の死後弟子たちによって『対人関係の精神医学』『精神医学の面接』『精神医学における臨床研究』の3著が観光された。
  • 晩年のサリヴァンは、コミュニケーション論への関心を次第に大きな集団にまで及ぼし、ついに国家間の諸問題にまで至った。戦後、ユネスコで活躍するようになったのもそのためである。1947年、彼は56歳でユネスコの国際会議に出席のため、パリに滞在中客死した。

 

(坂本健二:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)