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アンリ・エーの器質力動論

器質力動論の概要 

  • エーは、精神医学の歴史における2つの方向、すなわち精神症状(一般に精神現象)を身体的・生物学的基盤の上に直接還元する器質論的機械論と、逆に精神症状の発生条件を顧慮せず、その意味内容を心理的に明らかにしようとする心因論(あるいは精神病を器質因性のものとし、神経症心因性のものとする折衷的な方向)、このいずれにも満足せず、これらを統合する第3の道として、弁証法的ないし器質力動論的な方向をとる。
  • 有機体をただ単にひとつの構築物とみなすのではなく、「〈生命〉の秩序から〈人間性〉へのそれへと超えていく一つの運動としてとらえる」方向である。彼は、ジャクソンの理論に導かれながら、ジャクソニズムの精神医学への応用を企てる。
  • その応用に関しての基本的な原理を次の4つに要約している。
  1. 精神機能は階層的構成をなす。
  2. 病的状態は、現存する機能の解体というひとつの運動として現われる。
  3. 全体的解体と部分的解体との区別。
  4. 反疾病分類学的原理。
  • 第1の原理
    • 精神機能の発達はつねにひとつの階層化として行われ、高度に組織化された下級の原始層から、組織化の程度の低い、より高次の層への移行であり、前者を後者に従属させつつひとつの統合として行われる。
    • ジャクソニズムにおける神経機能の進化の原理を精神機能に適用し、神経機能と精神機能を2つの異なった存在とはみなさない。
    • 身体現象と精神現象とを水準の異なった構造上の2面であるとみる。
    • この両者は、構造の階層化において組織されていく存在であって、「上層の構造が下層の諸構造を含み、それらを超えるという具合に、また下層の構造は、階層化のより高次の構造の必要条件ではあっても「それを説明するのに十分ではないという具合に発展し、組織されていく」という。
    • 「精神現象は直接的な生(身体性)に密接に結びついており、その身体性を超えて展開する」という。
    • メーヌ・ドゥ・ビランやベルグソン生の哲学に一部加担するが、エー自身は、「精神機能を2つの極に区別する点で彼らとは異なる」と強調している。
    • 彼は、精神機能を、関係生活の道具的機能とエネルギー的精神機能という2つの極に区別する。前者は、認知、行為、言語機能、条件反射の体系、などであり、これは形態に参与する神経系の構造に密接に結びついた機能とされる。後者は、実在への適応機能、意識の統合と綜合の活動の全体を指すもので、神経系の構造に直接結びつくというより、「むしろ力の体系として、理解力や自由意志の進展へと非決定のままに開かれたひとつの活動類型を構成する」という。以上が精神現象についてのエーの基本的な立場である。
  • 第2、第3の原理は、このような精神機能の解体に関するものである。「精神病理的現象は、これまで存在していた諸機能の解体というひとつの運動として現われる」という。
  • 第2の原理
    • 《解体は進化の逆をたどる》という、神経系に関するジャクソンの命題に対応するものであって、この解体という運動に応じて下級層の力の解放が起こる。この精神機能の解体と、それによる下級機能の解放とが、ジャクソニズムでいわれる陰性症状と陽性症状を形成する。陽性症状は、残存する水準への再統合という反応作業として現われ、解体の諸段階の力動的構造が顕現する。この意味で精神疾患はひとつの退行だといわれる。
  • 第3の原理
    • この解体(退行)のあり方を、全体的解体と部分的解体の2つに区別することが、エーにとっては根本的なものである。
    • 精神機能の階層化において、それが道具的機能とエネルギー的精神機能という2つの極に区別されたのに対応して、解体においてもその2様のあり方がある。
    • 部分的解体とは、神経系の構造に密接に結びついた道具的機能の解体であって、感覚、運動領域の統合解体として現われる。失認、失行、失語、あるいは反射機能の解体などがそれであって、これらは神経学の対象とされる。
    • 全体的解体とは、精神生活の全体を統制し、それをより高次の統合へもたらすような高級機能の解体であって、ひとつの退行として現われる。これが精神医学の対象とされるわけである。
    • エネルギー的精神機能に関しては、ある種のエネルギー、すなわちジャネのいう《心理学的緊張》を仮定し、全体的退行ではこのエネルギーの減弱が起こるとする。
  • 第4の原理
    • 前3者からの必然的帰結であり、ひとつの臨床像は、解体された機能の脱落だけでなく、それによって解放された下級機能の顕現でもあるのだから、これにひとつの病因的過程を結びつけることは困難である。
    • 臨床的に求められる単位は、異なる病因によって生じた多少とも類型的な解体水準、つまり症候群であって、特殊な臨床-解剖学的な独立疾患ではない。
    • 精神病理現象が身体的過程に基づきながらも、その臨床像は身体的過程の直接の表現ではなく、その両者の間には弾力的で非決定の余自がある。この隔たりを器質-臨床的乖離と呼んでいる。この非決定の余白こそが、残存する精神機能が力動的に働き出す場なのである。
  • エーの反疾病分類学的原理から明らかなように、精神疾患の臨床-解剖学的な疾患単位はありえないし、神経症と精神病との区別もなく、この2つはただ単に退行水準の差にすぎない
  • 心因性と内因性、あるいは外因性といった区別も重要ではなく、とくに純粋の心因性というものを認めず、神経症も、精神病と同様に、病因論的には器質的攪乱の結果にすぎない。
  • 重視するのは、急性精神病群と慢性精神病群の区別であって、前者を意識の病態としい後者を人格の病態としている。

 

(長岡興樹:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)