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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

エリクソンの『幼年期と社会』

エリクソンの『幼年期と社会』

  • 『幼年期と社会』は新しいアイディアに満ち、独創的なものはいくつかある。
    • 第1は個体発達分化の図式で、人間の全生涯を展望に入れて人格発達の心理社会的側面を記述した。
    • 第2は心理社会的人格発達の8つの段階の中で、とくに思春期から青年期にわたる発達的危機として、自我同一性の概念が明確化され、ヒットラー、ゴルキー、ショーらの事例研究によって、これらの青年期的危機の様相が記述された。
  • 人格発達論的観点はエリクソンのオリジナルというより、フロイトから受け継がれている精神分析学の学問的伝統である。エリクソン精神分析的自我心理学の流れの中にいながら、他の中心的研究者、ハルトマン、ラバポート、あるいは、アンナ・フロイトらよりも、さらにフロイト的であるといえるのは、リピドー論に対する彼の態度であろう。
  • 自我心理学の流れが、リピドー論を正面から問題にしないのに対して、エリクソンははっきりこれととり組んでいる。エリクソンにあってはフロイトの心理性的発達は発達における心身相関的な側面として、当然のこととしてとり入れられている。
  • エリクソンはハルトマンらのように自我機能としての防衛論の方向に進まずに、フロイトにおける晩年のリピドー論における、生と死の本能論を発達的に、しかも、力動的な観点に立って弁証法的に展開させた。
  • 晩年のフロイトのリピドー論、つまり、生と死の本能論はいくつかの研究はあるが正統派の中ではタブー視され、誰も本格的に手をつけていない。しかし、M・クラインは攻撃性を死の本能として、対象関係論の中に位置づけている。新フロイト派は、完全にこの理論を拒否し、自我の適応論的な方向へ進んだ。これに対して正統派の中では例外的に、エリクソンはリビドー論を力学的に問題にしていった。
  • エリクソンにとって人格発達は常に、生と死の様相を示し、善と悪、明と暗の面をもつものであり、決してどちらか一方のみではない。人格の二元性が常に内的な力動的緊迫感をもっている。これが、われわれの心であり、精神の内的変遷であるとみる。この点はもはや、フロイトを超えてエリクソンの独創的な発達観といってよい。
  • エリクソンフロイト理論統合の過程で、彼独自のアイディアが出てくる。
    • フロイトの身体部位の性化の考えに対して、「器官の様態」および「社会的様式」の概念である。フロイトにあっては身体部位そのものが重要視され象徴的にとらえられたが、エリクソンは身体器官の機能的な側面を重要視し、社会的、対人関係的様態のアナロジーとしてとらえた。
    • 「相互性」という概念で「与えると同時に得る」を精神発達の中に見ようとして、幼児と母親とが「育てられるもの」と「育てるもの」という一方向的関係でなく「育てられると同時に育てる」存在として、発達的観点からすべての人間存在をとらえ直そうとする。
    • 発達の「危機」の概念で、精神の陰陽の2面性からくる。発達はこれまで、ただ前向きのものとしてとらえられていたが、退行的要素と病理的方向への動きをも含めて考えられることを「危機」と呼んだ。力動的に常に内的緊張状態の中で生きているわれわれは、条件によっては、前向きにも後向きにも、病理的に横向きにも進みうることを明確化した。これらの発達の様相は、文化や地域によって年齢的な差があるかもしれないが、超文化的に発達的危機は見出されるものと考えられ、彼の発達図式には、対応する年齢が記入されていない。
  • エリクソンは、思春期から青年期における発達的危機を「自我同一性・対・同一性拡散、混乱」としてとらえた。
  • 『幼年期と社会』は1950年に出版された。実はこの年に、彼自身の同一性を揺るがす大事件に遭遇する。米国は朝鮮戦争に深くかかわると同時に、国内的にはマッカーシズム赤狩りの旋風が吹き荒れる。エリクソンは、これに反対して、カリフォルニア大学教授の職を辞することになる。
  • カリフォルニアを去ったエリクソンは、再び東部のマサチューセッツ州の田舎の小さな精神病院に引きこもってしまう。ここはメニンジャー・クリニックの医者であったR・ナイトを中心にして新しく開放された青年の精神障害者のための開放精神病院であった。精神分析的方向づけで本格的精神療法をやろうとしていた。ここの研究主任が精神分析の理論家として知られ、米国にハルトマンらの自我心理学を紹介したD・ラパポートであった。深く傷つき、動揺して大学を辞めたが、エリクソンは全く幸運だった。すぐれた理論家とすぐれた管理者にあたたかく迎えられ、心ゆくまで青年期の臨床に静かに深く打ち込めたのである。ここでの10年の経験は彼独自の「ライフ・サイクル論」となって展開し、これはやがて、「心理歴史論」となるのである。

 

 

鑪幹八郎:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)