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オイゲン・ブロイラーとアドルフ・マイヤーの対照

 (内村祐之:精神医学の基本問題(1972)参照)

(本文中の精神分裂病は現在の統合失調症

ブロイラーとクライスト

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(ndimediaより)
オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler、1857 - 1939

オイゲン・ブロイラーは、精神分裂病の研究で不朽の業績と名声とを挙げた人である。

ブロイラーは、正統的な精神医学者の中で精神分析に共感と賛意とを表した最初の人とされており、また主として心理学的に方向付けられた精神医学者であると考えられている。それは事実その通りであるが、彼は決して極端に走らず、公正な良識をもって、種々異なる研究領域における研究成果を採用することを忘れない人でもあった。それゆえ、彼はクレペリンの早発性痴呆についての業績をも素直に認めて、これに高い評価を与えたし、クレッチュマーの、分裂病の体型や性格についての業績をも全面的に支持したのである。

しかし一層注目すべきことは、ブロイラーが分裂病の原因に関し、遺伝素因を特に重視して、クライストの提案した大脳皮質の遺伝変質疾患の学説に傾いていたことである。彼の有名な教科書―― 1927年発行の第6版は、彼自らの筆による最後のもの(ブロイラーは1929年に死去)だから、以下の引用はこの版からのものとする――には、分裂病の本態について、次のような文章がある。「・・・・いずれにせよ、(分裂病にとっては)遺伝または生来性の素質が決定的に重要である。私はクライストと共に、この.疾患を一つの遺伝変質として把握するのが最も好ましいと思う・・・・」と。対峙的な立場に立っていたと思われがちのブロイラーとクライストのこととて、この発言を意外に感じる人もあるのではあるまいか。

 

ブロイラーとマイヤー

ブロイラーとマイヤーとの組み合わせも、この2人を表面的に見る人々には唐突なものと映るかも知れない。事実、この2人の間には、たとえばクレペリンの学説に対する態度などに少なからぬ違いがある。しかしまた、いろいろな共通点もあって、この2人の対照は私にとっては興味があるのである。その共通点とは、2人共にスイスの生まれであること、そしてブロイラーはその生国であるスイスに、またマイヤーは後に移住した北アメリカ合衆国に、その一生を捧げて、両人とも、その国の精神医学界に最も顕著な影響を与えたこと、また両人の壮年期の学術的業績の中心となったものが、共に精神分裂病に関するものであったこと、そしてフロイト精神分析に対する両人の立場も、かなり似通ったものであったこと等である。精神分裂病の解釈に当たって、精神分析的思考を、どのような意味で採用するかについては、この2人の間に意見の相違があったが、2人ともに、精神分析の長所はこれを認め、これをその精神医学の中に採用した反面、精神分析の独断的解釈はこれを避け、これに対する批判精神を失わなかった点において全く共通していた。

ブロイラーの精神分裂病研究とクレベリン

ブロイラーは精神病理学者として、精神医学の最大の謎とも言うべき精神分裂病精神病理学に取り組み、これを整理整頂したのみならず、これに多くの独創的見解を加えて学界に貢献した。これによって彼が世界的名声を博したことは、あまねく人の知るところである。彼はクレペリンによって樹立された早発性痴呆の概念と知見とを検討して、その不備を補い、また、とかく羅列的記述に流れやすい分裂病症状の多くのものの中から、基礎症状と副症状、一次症状と二次症状などを区別して、この疾患に本質的と言うべき精神症状を追求した。その結果、思考の分裂、感情の荒廃、周囲との感情的関連の消失、両価症、自閉症などを基礎症状として取り出し、これらの症状の認められるものを分裂病と断定したのである。そして、この基礎症状に対し、症例によって随時、出没する他の多くの症状を副症状とするという、思い切った提案をして、その後の研究に大きな促進的の影響を与えたのであった。もっとも、この基礎症状については、その後、異論がないではなかった。ブロイラーはそれらの基礎症状の中で、連想の弛緩ということを最も本質的な指標と考え、終生その考えを変えなかったが――精神分裂病の名称もここに由来する――ブロイラーを最も尊敬して、その分裂病論の大部分を高く評価していたフランス生まれの愛弟子E・ミンコフスキーは、その師が最も基礎的な症状とした、この連想の弛緩についてのみ、彼と意見を異にした。すなわちミンロフスキーは分裂病の最も基礎的な症状は自閉症状であるとし、その概念をより広く人間学的見地から拡張して、「現実との生ける接触の喪失」と規定したのである。また同じくブロイラーを師とし、ミンコフスキーとも親交のあったL・ビンスワンガーも、その主著「精神分裂病」の中で、自閉症分裂病の最主要症状の意味をもたせ、これを現存在あるいは世界内存在の様式変容として理解した。ちなみに潜伏性分裂病の提案その他により、クレペリンの早発性痴呆の概念をはるかに広いものにしたのがブロイラーであったことも、よく知られている事実である。

ブロイラーはその後半生をすぐれた臨床家また著名な思想家として送ったが、とりわけ精神医学の周辺領域の一般問題を取り扱う著述家として.有名であった。従って彼の精神医学者プロパーとしての世界的名声は、彼の前半生における分裂病の研究によって得られたものだと言ってよい。なお今日からは想像もできないことだが、その当時、クレペリンとブロイラーとの研究は実に精神医学の根本を揺るがすほどの重要性をもつものであったのである。それ以前の精神医学界において、器質性精神病と神経症との中間に横たわる、いわゆる機能性精神病の大きな領域の問題は全く混乱をきわめていたから、クレペリンの早発性痴呆に対しても、当初の反対は手ひどいものであった。このような時期に、クレペリン学派以外の有力な臨床家であるブロイラーが、その研究を出版して、クレペリンの意図を全面的に承認したのみか、この疾患の輪郭をはるかに明確にし、その症候学を明快に整理したのだから、その影響には今日の想像をはるかに越えるものがあったのである。

ブロイラーが1911年に出版した「早発性痴呆あるいは精神分裂病群」は、最も古典的なものとして有名であるが、その中には当時の学界の事情がいろいろ描かれており、またクレペリンの早発性痴呆に対する弁護の言葉も多く見られる。以下に、それらの2、3を引用してみよう。

ブロイラーは、当時の著名な研究者たちの、診断についてのまちまちな意見に触れた後に言う、「・・・・・このようにして多数の患者は、いろいろの病院で受診するたびに、その病院の数だけの違った診断を背負わされた・・・・・」と。また「次のような出来事は普通のことであった。ある病院では大きな一つの壺にデメンチアと書いてあった。ところが医師が代わって新任の医師になると、その大きな壺のそばにあった、パラノイアというレッテルを貼った壺を大きくして、入院患者を次ぎ次ぎと、この壺の中に入れ代えた。彼は前任者の錯誤を訂正するつもりであった」とも書いている。当時の混乱をきわめた学界の様子を示す挿話である。

一方、ブロイラーがクレペリンを弁護した言葉としては、「このような混乱に対して、早発性痴呆の概念の樹立は、明瞭さと秩序とをもたらした。クレペリンの早発性痴呆は真実な疾患概念である」。また「早発性痴呆に対して最もしばしば繰り返される反対論の一つは、これが必ずしも痴呆や早発ではないということであった。しかしクレペリンがこの概念を記載したとき、その治癒と晩発とについて、繰り返し、はっきりと述べているところを見れば、この反対論は、この概念を知ろうと思わぬのみか、名称にもこだわっているための大きな誤解と称せざるを得ない」などの言葉も見られる。

ブロイラーが彼の精神分裂病の概念を、分裂病群と、複数で表現した真意も、多かれ少なかれ誤解されているようである。彼がある範囲の状態像をそなえた症例の大部分を、特別の疾患、すなわち精神分裂病と見ようとしていたことは、これらを単に状態像として診断すべきだと主張したウェルニッケに対して、明らかな反対の意志を表明していたことからも、また彼がしばしばこの病気を単数で表現していたと伝えられることからも推察される。しかし彼はその一方、稀な他の病的過程によっても同じ症候群の現われることを経験して、慎重な配慮から、これを特別な単位疾患と呼ぶことを憚っているのである。そしてこの疾患概念がどのような種類の単一性を現わすものであるかが、まだ明瞭でないので、「この疾患の本来の過程が明らかにならぬ限り、ある種の自家中毒や感染が同じ症候像をもたらし得ることを除外することはできない。従って早発性痴呆は差し当たり1つの疾患の種(Spezies)とは把握できず、たとえば器質性精神病というのと同じ意味で、1つの属(Genus)と見なすべきもの、である」と書いているのである。この文章からもわかるように、非常に慎重な態度から出た複数説である。それゆえ、その本態の究明が当時よりさほど進んでいない現在、分裂病の複数説があたかもブロイラーの当然な考え方であったかのように言う者は、ブロイラーを多少とも誤解したものと言わなくてはならない。

 

ブロイラーの分類

ブロイラーは何よりもまず慎重な観察者であり記述者であった。それゆえ精神病全般についての彼の構造理論といったものは特に見当たらない。そこで彼の精神医学の体系と分類とを、彼の教科書に求めると、それは大体においてクレペリンのそれに準じたものであり、彼はここでも特別の意見を述べていない。彼は精神病の分類の項には次のように書いている。「それゆえに、われわれはできる限リクレペリンの分類に従う。クレペリンのそれは全世界でほぼ支持されているが、他のすべての分類は、ただ特定の学派が用いているのみだからである。他の疾患または症候群については、クライストの編み出した分類があるということだけを特記しておこう。しかし、この分類も、教科書に採用するまでには、まだ全体として熟していない」と。ブロイラーがここでもまたクライストに関心を示しているところが面白い。

大体ブロイラーという人は、クレペリンとかなり似た型の精神医学者であったようである。鋭いひらめきの上に自らの体系を作り出して行くようなタイプではなく、地道な臨床観察の上に、きめの細かい記述をすることを本領としていた人であったと思う。また、ひとつにはスイスという国上の影響もあってか、学説上の激しい議論のようなものは彼の生涯にはなかったようである。自ら研究を積み上げていった彼は、正しいと信じたテーマについては譲らなかったが、それ以外の事柄については、高い良識をもって判断し、偏向をきらった。分類の上で、大勢の赴くままにクレペリンのものを踏襲したのもそれであって、彼自身、確信をもって言えるほどの新機軸は持ち合わせていなかったのだと判断してもよいようである。この点については、彼がその教科書の中で、状態像と症候群とのために一項ずつを設けているにもかかわらず、その内容は並列的記述に終始していて、これらが精神異常の構造に対して持つ意味合い―たとえば、かつてホッヘが試みたような―について一言も触れていないことからも推察される。のみならず彼の「早発性痴呆あるいは精神分裂病群」の中の次の記述によると、彼はむしろクレペリンの疾患単位説に近い考えを持っていたのではないかとさえ思われる。すなわち「早発性痴呆の概念は、状態像の代わりに特別の疾患概念を置くことであって、この方が幾分でもよいことである」と。

 

ブロイラーと精神分析

ブロイラーの精神医学を語るときに、どうしても見逃してはならないことがもう一つある。それは精神分析に対する彼の立場である。上述の精神分裂病についての彼の著書が出版されたのは1911年のことであって、当時のヨーロッパの精神医学界は、フロイトの学説に対し、おおむね同情的でない時期であったが、ブロイラーはその分裂病に関する著書の序文の中で、次のように述べている。

「早発性痴呆についての思想のすべてはクレペリンに発している。また個々の症状の群別や抽出も、ほとんどすべて彼に負うものである。彼の功績を個々にわたって列挙するのは冗長になるばかりである。……早発性痴呆の病理学をさらに仕上げようという試みにとって重要な部分は、フロイトの思想をこれに応用すること以外にはない。ここに一々その名前を挙げないけれども、われわれがこの著者にいかほど多く負うているかは、読者に必ずわかることと思う」と。全面的拒否の学界的情勢の中で、ブロイラーから、この認識の言葉を得た精神分析は、どれはど力を得たことであろう。また、こうした情勢の中でこの記述を敢えてしたブロイラーの所信と勇気とに対しては、誰しもが深い感銘を覚えることと思う。

「しかし」と、ブロイラーの姿を描写している彼の門弟のJ・クレジーは、精神分析に対するその師の立場について言う、「基本的の賛意は、無条件の追従を意味するものではなかった。彼は多くの留保をした。しかし彼は葛藤の作用を主として副症状の中に見ようとした。副症状をシンボル的行為と認め、また症状の増悪や形成にとって心的体験を意味のあるものとした」と。

ブロイラーと精神分析との関係は、人によって語るところがさまざまである。しかしこれは大変重要な点だと思うので、彼自身に語ってもらうこととし、1927年版の彼の教科書の中の分裂病の章を引用してみよう。その中で彼は分裂病の病理学に関して次のように言っている。「・・・・(連想障害)以外の分裂病症状は二次症状である。そして(二次症状であるところの)幻覚や妄想の内容は、複合体(コンプレックス)によって感情的に条件付けられる。不快な複合体は、健康人の場合と同じように、無意識なものとして抑圧され、またこれが妄想や幻党の原因となる・・・・」と。また病的反応の章の中では、性欲のもつ原因的役割の大きいことを説明しながら言う、「分裂病の精神的賦形にとっても、性的複合体は重要な役割を演じている。ことに女性の多くにとっては、これは本質的のものである・・・・」と。さらに分裂病原因論の中では、「われわれの考えによると、これらの条件(妊娠、産褥、感染、失恋などの精神的要素)によって、この疾患が起こされるのではなくて、ただ、はっきりさせられるだけなのである」と言っている。

これらの記述は、前記のクレジーの言葉と符合するものである。すなわちブロイラーは、抑圧や無意識などという精神分析の根本概念を承認して、これを受け入れてはいるものの、これらの概念は、分裂病の症状形成の上ではあくまでも副症状または二次症状に妥当するものであるとし、彼が分裂病に本質的と見なした基礎症状や一次症状の生成には関与せしめていないのである。そしてこれは、フロイトやアドルフ・マイヤーの分裂病心因説と対比して、ブロイラーの考え方の違っていることを示す非常に重要なポイントである。このことを私はくれぐれも注意しておきたいと思う。ブロイラーが分裂病の原因を、より多く生物学的過程に求めていたことは、彼がクライストの遺伝変質性疾患説に賛意を表していることからも明らかである。

この1927年版の教科書の記述を、1911年の単行本のあの感激的な序文と比較すると、精神分析に対するブロイラーの見解が、これを高く評価はするものの、この20数年の間にいささか変わってきたように思われる。たとえば1927年の教科書の中には次のような部分がある。「フロイトの諸理論は激情をもって戦われてきた。そして私自身、彼の意見のうちのあるもの、ことに最近のものを正しいと考えることはできない。しかしフロイトは心理学や病理学の巨大な進歩に寄与したと思うし、また彼の反対者たちも、永年の間に彼の影響から逃れられなくなっていると私は見るのである」と。

精神分裂病心因性の問題は、現代の精神医学研究の一つのトビックである。そしてアドルフ・マイヤーによって心因性の大きな種を蒔かれたアメリカで、ブロイラーが一般に受け入れられている理由は、彼の精神病理学が、部分的ではあるが多分に力動的であり、また精神分析に対する彼の態度が同情的であるためと見てよいであろう。しかしブロイラーが精神分析に対して無条件的追従者でなかったことを、われわれは深く心に留めておかねばならぬと思う。同じくスイス学派に属するが、かつてブロイラーとフロイトの2人に学び、後に後者と袂を分かったC・G・ユングの方が、ブロイラーよりもはるかに強く分裂病心因性を主張している。

 

マイヤーの横顔

オイゲン・ブロイラーが、スイスの生んだ最も著名な精神医学者であったのに似て、アドルフ・マイヤーは、その移住先のアメリカの精神医学に最も大きな感化を及ぼした人である。彼はスイスに生まれ、スイスの大学で医学を修めた後、数年してから北アメリカ合衆国に渡り、ここでその一生を終えたのであるが、彼がヨーロッパでの短い修業期間中に師事したのは、ブロイラーの師でもあったアウグスト・フォレルと、イギリスの神経病学者ヒューリングス・ジャクソンと、生物学者T・ハックスレーであったという。アメリカに移住後も、初めは神経病理学を専攻して、この方面で多くの寄与をした。しかし彼はもともと小児の精神発育に大きな関心をもっていたので、中年近くになってから精神医学に転向したのである。このことからもわかるように、彼は精神医学のいわば独学者に近く、いずれの学派にも属さなかった。この点で、マイヤーの履歴は、ブロイラーのそれと、一脈相通ずるものがある。この両者が自己の学説を自由に主張することができたのも、この立場の自由さによるところが大きかったと思う。

マイヤーは後年、北アメリカ合衆国の精神医学教育の確立者として、精神衛生運動の推進者として、また精神生物学の提案者として、社会的に学問的に大きな足跡を遺したが、彼が精神医学に転向後、取り組んだ主な研究課題は精神分裂病であった。このこともブロイラーと似ているが、しかし彼はブロイラーとは違い、クレペリンの過程疾患論や疾患単位論に対して真正面から反対論を展開したのであった。そして興味のあるのは、ブロイラーとマイヤーの両人とも、クレペリンがその教科書の第5版(1896年)で初めて早発性痴呆の輪廓を明らかにしたことに刺激されて、この疾患の研究に取りかかったことである。

 

マイヤーの「早発性痴呆の力動的解釈」

マイヤーは生来の資質として精神的であった上、小児の発育について当時から関心の深かったアメリカに移住したこととて、精神発育に対する環境の影響に深い興味を抱くようになり、精神病の発現にとっても、病前人格の発展という見方が重要だとの考えに到達したのである。彼の意見によれば、人格の形成にとって決定的である小児期、青年期を注意深く探索すると、日常生活の要請への適応の際に生ずる精神的葛藤や、その結果としての疾患発生をよく理解することができるという。そして彼は、精神分裂病とは、内的、心理学的理由によって社会的に適応不可能になった場合に生ずるものと考えたのである。この点において彼は、サリバンなどの精神分裂病論の先駆者であったわけである。マイヤーが分裂病の病前人格として記載したものは、後にクレッチュマーが分裂病質として記載するものと同じだが、マイヤーが特に強調しているところは習慣の解体である。

このようにしてマイヤーは、この疾患を引き起こし、その病的症状に影響を及ばし得る人格要素の研究を進めて、身体的原因を否定した。彼によれば、分裂病の諸症状の理解にあたっては心理的要素を考えるだけで十分だという。神経病理学者である彼は、分裂病者の脳に不特定の病変のあることを知っていたはずであり、また分裂病がその終末期において、しばしば重い痴呆状態に移行することをよく承知していた。しかもなお彼はこの疾患が心理学的原因によって起こることを確信し、その痴呆状態さえも精神療法によって回復せしめ得るとして、医師はそのために努力すべきだと主張したのである。またマイヤーは分裂病を特徴付けるような精神症状はないと信じていたから、ブロイラーの研究が発表された後も、基礎症状と副症状との区別は不必要だとして、これを承認しなかった。分裂病精神病理学的全体像が必要なのだと説くマイヤーは、ブロイラーの分裂病学説が心理学的であるとともに身体論的であるとして、その二元論的立場に賛成しなかったのである。

マイヤーがこの力動学説に近い分裂病理論を初めて発表したのは1906年のことで、ブロイラーの著書の出版よりも早かった。それはむろんクレペリンの考えとは相容れぬものだったから、彼はクレペリンを鋭く攻撃したのである。彼が1909年、クラーク大学で、「早発性痴呆の力動的解釈」と題して講演したものからも、上述の彼の意見はよく読みとれる。この中で彼は種々異なった型の分裂病の既往歴や病前性格や病像や予後を、幾つかの例を引いて、やや詳しく述べた後に、次のように言っている。「これらの記載を見ると、疾患が、葛藤に対する反応であり、現実的な困難を多少とも調整しようとする試みの失敗や錯誤であることを証するような幾つかの特徴を見ることができる。重要なことは、真の困難と緊張とが示されていることであり、また経過の上で、調整に用いられた内容とその後の病気の発展との間に、はっきりした関係のあることである・・・・。また「これらの描写から、心的不適応の連鎖の結果として疾患の発展が起こり得ると了解されるのに対し、架空の毒素などの存在を証明するものは何も見出されない」。「クレペリンの見解が不幸なものであることは、欠陥状態におちいる可能性、あるいはその高い確率があることを、彼は独断的に確実なものであるとし、初期に現われる症状を、単に感情や意志の障害であるとして、仮説的に毒素や脳障害に帰していることである」と。

以上の記述のみから見ても、クレペリンの早発性痴呆概念に対して、マイヤーが最も強い最初の反対者であり、これの臨床的単一性は認めながらも、原因論的に、その心因性、これを現代的に言えば状況因性の勇敢な主張者であったことが、うかがえるのである。マイヤーの考えをもう少し敷衍すると、最初はごくささやかで無害であった逸脱や代償的の行為が、ある人格構造を持った人々にあっては、だんだんと積み重ねられて、自ら制御できないものとなり、また他から理解のできないものになって行く。しかし、その一つ一つを、生活上の現実的適応への困難を代償しようとして、その目的の果たされなかった行為の結果として見ると、これを了解することができるという主旨である。そしてマイヤーはこの代償行為の重要性とともに、特別の病前素質を意味する人格構造の存在を認めて、彼の発生力動的解釈を試みようとしているのである。

マイヤーのこの学説は彼の所信であるから、ここであまり批評を加えるべきではないと思う。しかし私自身の受ける印象として、彼の所論の根拠とするところは、第1に、クレペリン原因論は一つもしっかりした基礎のない独断であること、第2に、患者の生活史または既往歴の上から、分裂病心理的成因を了解できなくはないことの2つであるように思う。ところでマイヤーの挙げる症例の病歴を読んでみると、それは、われわれが日常しばしば出会う症例と似たものであって、特別のものではない。そして私が彼について物足りなく思うのは、個々の出来事が、どのような力動をもって、どのような症状の形成に結び付くかという細かい点の吟味に全く欠けていることである。後年になっても彼は、分裂病に対するブロイラーの基礎症状と副症状との区別といった点に何らの考慮をも払わなかった。

これを要するに、マイヤーの主張は、状況の全体が病像の全体にかかわるといった総括的な主張であって、これを、一つ一つの精神症状が疾患の本態に対してもつ意義を探ろうと努めるヨーロッパの精神病理学に比べると、どうも説得力に乏しいという印象を受ける。彼はこのような理念から、精神分裂病の名称を避けて、精神分裂性反応の話を用いたのであるが、ひとり分裂病のみでなく、他の多くの精神異常状態をも、彼は同じく反応の語をもって呼んだ。そしてこの習慣が、アメリカの精神医学界で最近まで行なわれていたことは人のよく知るところである。マイヤーの精神医学は反応学説であったと言っても誤りではないであろう。しかし、この理論の発表は今から60年も前のことである。この時期にこの発表をしたマイヤーの独創性と勇気とに、われわれは敬意を払いこそすれ、その内容の一つ一つに立ち入って批判することなどは控えようと思う。のみならずマイヤーが敢えてした精神病の力動的把握の試みは、精神分析の理論と相伴って、その後のアメリカの精神医学界に大きな影響を及ばし、とりわけ対人関係や社会学的実情などの追及といった新生面を拓く契機となって、近代の精神医学に促進的刺激を与えたのであった。

 

マイヤーと精神分析

精神異常の病因として精神葛藤を重要視したマイヤーが、精神分析に対してどのような立場をとっていたかを知るのは興味のあることである。彼の伝記を見ると、早発性痴呆の問題に彼が取り組みはじめたのは、上述のように、1896年、クレペリンの教科書の第5版が出版された後のことであるが、同時に彼は、同年に出た、フロイトの精神病の解釈についての発表にも注目したのであった。このことから、マイヤーの思想に及ぼしたフロイトの影響の少なくなかったことが推測できるであろう。事実、彼は1909年の早発性痴呆の論文の中で次のように書いている。「われわれは、問題の中心点に、調整の不十分な体験から生じた、一つ、または幾つかの葛藤が作用して、種々のシンボルによって形を変えている事実を明らかにしたフロイトやユンクに感謝する義務を負う。彼らの天才的解釈は、病的幻想から生じた多くの錯綜した産物に対し、注意に価する解明を可能にしてくれた」と。

しかしマイヤーは同時に独断と普遍化とを極度にきらったので、精神分析の多くの理論と所見とを承認したにもかかわらず、それはつねに試験的であったし、また精神分析そのものに対する批判をも忘れなかった。1920年に彼が行なった精神分析に対する批判は、今日のアメリカの指導的分析学者――おそらく新フロイト派の人々という意味であろう―― の立場にむしろ近いものだったと言われている。事実サリバンの分裂病論などを読んでいると、その感を強くするのである。いずれにせよマイヤーは、精神分析に対し、同情者であった反面、その行き過ぎを警戒していたという点で、ブロイラーと似た立場に立っていたようである。

 

マイヤーの反応型学説

精神分裂病の研究を土台にして、マイヤーは、その発生力動的な考え方を追々と精神病全体にまで及ぼし、反応型体系を発展させた。彼によると、精神障害は行動の障害であって、その発生のためには、外因、器質因、経因、心因、体質性といった種々の要因が、症例により、それぞれに異なった程度の役割を演じるのであり、また種々な精神病像の特徴は、個体全体がもっている反応性にかかわるものであるという。

マイヤーの主張をもう少し違った言葉で言い換えると、精神障害は、正常な行動と同じく、個体の順応反応を意味するものであり、こうした反応のすべては、個人の全精神生物学的発達の結果として理解できるということになる。そこでマイヤーは、疾患学的分類の代わりに反応型による分類を提案するに至ったのである。アメリカの精神医学界は最近に至るまで、たとえば精神分裂反応というように、病の字の代わりに反応の字を使う分類法を採用していたが、これがマイヤーの影響によるものであることは上述した通りである。もっとも「病」の字を避けて「反応」の字を用いた理由の一つとしては、「精神病」という言葉の一般大衆に与える好ましからぬイメージを回避しようとする、精神衛生運動的ポリシーもあったとかいうことである。いずれにせよ、マイヤーが疾患単位説を避けて反応型を主張したことは、 一見すると、ホッヘの症候群学説の考え方などに通じるものであるように見える。しかしホッヘが前生成の症候群を問題にしているのに対して、マイヤーの反応型では、ホッヘのいう生物学的決定因子よりも、主として環境因子との交互作用全体を総括的に考えているようである。この意味で、同じ反応型と言っても、内容的にホッヘのそれと同一であるとは言えない。但し緊張症候群の発生について、マイヤーが特別の意見を述べていることは注目に価する。

私はマイヤーの論文をさほど数多く読んでいないので、彼が個々の反応型の問題をどのように解釈しているかを、ここで詳細に紹介することはできないが、私の読んだ限りで、彼の例外的発想だと思うものは、緊張症候群に対する考察である。マイヤーは、多くの器質性疾患にも時折り見られる緊張症候群が、分裂病の際にとりわけ多発することに注目する。しかも彼の分裂病心理学説では、この症状の因果関係は説明できないという。そこで彼はこの緊張症候群を、系統発生学的に非常に古い防禦反応を意味する一つの特別な機能的反応型だとし、心身に及ぼす衝撃の結果としてこれが現われると解釈しようとしたのである。そしてこの着想はまさに古くはジャクソンによって示唆され、ホッヘによって前生成機構として暗示され、後年、クレペリンによって説明された発生学的見地あるいは階層的退化の思想である。これを想えば、マイヤーもまた独創的な研究者であったと言うことができよう。

 

マイヤーの精神生物学

ジャクソンと言えば、マイヤーがその若き日にジャクソンに師事していたことは前に述べたが、マイヤーが発展せしめた精神生物学の中にも、ジャクソンの影響が感じられるように思う。マイヤーの精神生物学の概念は有名であり、それは彼の永年にわたる実地経験の結果の凝集されたものではあるが、しかしそれほど、はっきりとまとめられたものではない。その基礎となるものは、すべて生体にあっては、物質と機能とは分離できない一つの統合であるという思想である。そして人格もまた統合された最高の単一体であるが、それは解剖学的、生理学的、神経学的、そして心理学的の各次元の統合体の、さらに統一された単一体であって、それゆえに、その視野の中には、生物学的医学的要素はもとより、心理学的、社会学的、文化的要素などのすべてが包含される全体的のものだというのである。この概念によって彼は、二元論的心身並行論の代わりに精神生物学的統合論を、また静態的精神医学の代わりに発生力動的精神医学を唱えて、これを基礎付けたのであった。上述した精神障害に対する彼の考え方が、この概念に沿うものであったことはもちろんである。

精神生物学という言葉は、今日もはや使用されることが少ないが、この思想は今日のアメリカの医学界に広く浸透して、精神身体医学の発達を促し、また力動精神医学の隆盛をもたらす原動力となったと言われている。

後年のマイヤーの努力は、アメリカの医学生と医師とに対する精神医学教育と、精神衛生運動の普及とに注がれて、他国では見られぬほどの目覚ましい成果を挙げた。この成果をもたらした原因の一つが、彼の高い人道主義にあったことは言うまでもない。しかし、同時に、彼の精神医学が、アメリカの国情にふさわしい実用主義と楽観主義とに通じるものであったことを忘れてはならない。それは、小児の精神発育を重視すること、人間関係を調節することによって、精神病の発病が予防できるとするものであり、また習慣をその解体から復元させるように指導することによって、精神病を治癒させることができるとする確信に満ちたものであった。このことが、とりわけ強い関心を大衆の間に呼び起こし、広い大衆運動を成功させる原因となったのだと私は考えている。いずれにしても、現代の精神医学の一つの中心となっている力動精神医学の種を蒔き、その成育のために大きな役割を演じたアドルフ・マイヤーの貢献は決して過小評価すべきものではない。