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サリバンとミンコフスキーの精神分裂病論

 

内村祐之:精神医学の基本問題(1972)参照)

(文中の精神分裂病分裂病は現在の統合失調症

 

精神分裂病の精神力動論

神経症の発生と症状形成とにとって「精神力動」が第一の問題となることは、すでに古くから考えられていたが、この問題を深く掘り下げて、無意識界の存在を大きな前提とした「深層心理学」の諸概念を打ち立て、これを学界の一大潮流とした功績者はフロイトである。しかし、ここに、同じく精神分析ではあるが、欲動または本能という生物学的観点をあまりに重視するフロイトの立場を容認することができず、そのためにフロイトから離脱するに至った一群があった。これらの人々によって新しい精神分析が提唱され、この傾向はことに第二次世界大戦の前後から顕著となって、いわゆる新フロイト派が形成されるに至った。

このように、精神分析学者の間でも意見の相違は大きかったが、しかし彼らに一致した一つの傾向は存続し、それは現代の精神医学界で一つの大きな流れをなしているように見える。その傾向とは、一方は、神経症の経験から得た「精神力勁」的見地を、ひろく一般人格(パーソナリティー) の形成の理論にまで当てはめようとする傾向であり、もう一方は、この見地を重い精神病像全体の構成の説明にまで拡大しようとする傾向である。つまり深層心理学的の精神力動をもって.精神生活のすべてを説明しようとする傾向である。

ところで以上の二方向への拡大傾向のうち、前者、すなわち一般的人格形成への応用の問題は、本展望の主題と隔たることになるので、ここでは措くとして、後者について私が強く印象付けられることは、神経症や異常性格をはじめとして内因性精神病に至るまでの概念規定や分類基準が、この場合、明確を欠いているということである。これら相互間の区別はもとより、これらと正常人格との境界についての概念規定を彼らがいかに考えているかが容易に汲みとれないのである。もともと彼らは、精神療法または精神教育によって異常者の社会復帰を計ろうという人道主義的、実用主義的の立場に立つものであるから、概念規定や分類基準のごときは第一義的ではないというのであるかも知れない。あるいはまた、正常人格と、神経症や異常人格や、さらには精神分裂病などの精神病との間には、もともと本質的な差別はなく、それらは相互に移行関係にあって、「適応障害」の有無が判別の基準であるという立場に立つためであるかも知れない。しかし、このような実用主義は、多くの研究者の研究結果を相互に比較しようと試なる見実的段階になると、はなはだ不便なものとなるのである。できるだけ一定した診断と分類との基準をつくり、症例についての経験をこれに拠って比較することが、同時に病像の解明にも治療の進歩にもつながることなのだと私は思う。

それはともかぐとして、精神病の構造論という趣旨から見て、最も重大な問題となるのは、このような「精神力動」を、神経症よりも一層重篤精神障害の状態、たとえば内因性精神病の原因論の方向へも拡大妥当せしめようとする傾向である。そしてこのような傾向は、分裂病を身体規定性のものと想定したクレペリンやブロイラー、その他多くの研究者の考え方が、その後数十年にわたる研究によっても十分に実証されなかったことによって、一層促進されたのであった。

本展望で紹介した限りでは、分裂病の心理規定性についての最初の発表は、1906年のアドルフ・マイヤーのそれである。引き続いて1908年には、アブラハムが、フロイトの了解の下に、分裂病と自己愛的性向との関係についての解釈を発表して、分裂病を「神経症」の一型として取り扱うことを提唱した。仮りにこの文献的回顧に多少の不正確性があるとしても、最も早い時期に分裂病の心理規定性を主張したのが、一方はマイヤーの伝統を.継ぐ人たちであり、他方が精神分析学派の人たちであったことは確かである。さらに一歩を進めて言うならば、マイヤーを擁し、また早くから精神分析を採り入れ、とりわけ第二次世界大戦に先立ってヨーロッパを脱出した多数の精神分析家を受け入れた北アメリカ合衆国の精神医学こそが、分裂病をはじめとする多くの精神障害の心理規定性について、最も深い関心を、過去から現在に至るまで持ち続けているということである。彼らが自国の精神医学の特徴を力動精神医学と呼んで、ヨーロッパ大陸の叙述精神医学または静的精神医学と対比しているのも、彼らの精神医学の特異性をものがたるものと言うべきであろう。

力動精神医学とは

力動精神医学が精神分裂病の発生と構造とについて、いかなる見解を持っているかをまず紹介しようと思う。その代表的研究者として誰を推すべきかを種々検討した結果、私はサリバンを選んだ。ここでサリバンの紹介に入る前に言及しておかなければならぬのは、「力動精神医学」の概念が決して一つの学派の名称ではなくて、大きな流れの総称であるということである。そもそも力動精神医学とはいかなるものであるかという疑間に答えて、アメリカ精神医学の長老の一人であったスタンレー・コップは次の意味のことを述べている。力動精神医学の特徴は、「動機付け」の観点から精神現象を研究する点にあり、ことに幼時体験にさかのぼることによって初めてその動機が解明されるとする点が特徴的なのであると。コップはさらに説明して、力動精神医学といっても、その内容はさまざまで、それは、純粋のフロイトから、生活史的アプローチを経て、アドルフ・マイヤーの全体論的指向に至るまで、種々な立場を包括する総括的概念であるという。ここで言う生活史的アプローチが、新フロイト派を指すものであり、全体論的指向が、マイヤーの立場におよそ相当するものであることは推測に難くない。

同様の見方は、その後のアメリカ精神医学の紹介にも現われている。ウェルツによると、アメリカの精神医学に大きな影響を与えたものは、クレペリンの分類体系と、アドルフ・マイヤーによる、全人格の把握を条件とする心理学と、フロイト精神分析理論と、人間関係学派であるという。この最後の人間関係学派とは、精神医学を「対人関係の科学」と呼んだサリバンを中心とする学派である。そしてサリバンが、フロムやホーナイなどと共に、いわゆる新フロイト派の中心人物と見なされている。

上述したところからも明らかなように、力動精神医学は確かにアメリカの精神医学を特徴付けるものではあるが、その内容は多岐にわたっていて、一様ではなく、研究者の異なるに従ってその学説もさまざまである。また、J・H・マッサーマンが、動物の実験的神経症の行動観察から得た「生物力動」の理論を、精神医学の臨床と治療とに応用して、これを「力動精神医学の原理」ならびに「力動精神医学の実際」という2冊の著書として発表しているように、これらの力動精神医学は、適応障害という共通点を持ってはいるが、その範囲は精神力動から生物力動に至るまでの広いものであって、端的に意味を捕捉することのむずかしい概念であると称してよいのであろう。

 

サリバンの対人関係理論

多くの立場と学説との中から、特にアメリカで育ち、またその風土や社会や文化によくなじみ、しかも新しい独創性をもった精神医学を選ぶということになると、それは、対人間。対社会、対文化といった関係に特に重点を置いて発展したものになると思う。そうすると、やはりサリバン、フロム、ホーナイらを代表とする新精神分析学派が注目されることになるのである。

サリバンを紹介する理由は、サリバンの理論が、ホーサイらとは違い、当初は主として精神分裂病の臨床観察と治療経験とから出発していて、新フロイト派の中では唯一とも思われる精神病の疾病論であるゆえに、新フロイト派が内因性精神病をいかに把握しようとしているかを、うかがい知るのに好適なものだと思うからである。のみならずサリバンは、アイルランド系の移住民の家の出であるとはいえ、生まれながらのアメリカ人でみったこと、また、その臨床経験の最初の20年間を私立精神病院で送って、分裂病強迫症の観察と治廉とに文字通り熱情を傾けた精神医学専攻者であったこと、そしてフロイトの大の信奉者であったW・ホワイトから特別の期待と影響とを受けて、正統精神分析をもってその研究生活をスタートしたなど、その履歴の上で注意すべき特徴を持った人物であったのである。

サリバンの理論は、多くの精神障害とその症状の発生とを、対人関係の異常から把握し、また理解しようとするものであるが、彼が前半生において特に力を入れた精神分裂病についても、その多くのものを、彼は人間関係のパニックの結果として説明する。但し急性で回復の可能性の高い病型に対比される危険な病型―― おそらく寛解傾向を示さない予後不良のものを指しているのであろう―― を、早発性痴呆の名称の下に一括して、これらを器質性または変質性の疾患であるとし、回復可能なものからこれらを区別すべきだとの意向を示したことは注意される。このような意見は、近年、他にも散見するが―― 著名な人としては、フランスのアンリ・クロードやドインのツットのごとき―― 、初期症状の上からこの両型をいかに分別するかということとなると、サリバンにも名案はないようである。ただ彼の先駆者の一人であるA・マイヤーが、分裂病のすべての症状を治療可能の反応型としたのに較べると、サリバンの考えははるかに柔軟性に富むものと言えるであろう。

「精神的異常魂象は、これを個人の内部に宿る単一性のものとするよりも、むしろ社会的過程の参与した型と見,なすべきである」というのがサリバンの根本理念である。従って彼は、幼児期にさかのぼって、人格形成に影響する対人関係の詳しい検討をはじめる。彼の対人関係の理論の大筋は次のようなものである。

サリバンによると、人間は一方では生物的性質を与えられてはいるが、しかし、その人と為りは、他の人々との相互作用による所産であって、人格が形成されるのは、出生の最初の日から働きかけてくる人間的また社会的の力のためである。従って人間は2つの大きな目標を持つことになる。その1は満足の追求であり、これは主として生物学的欲求にかかわるものである。その2は心理的安全性の追求であって、これは本来は文化的過程とのかかわり合いの結果であるが、しかし、この2つの目標は互いにからみ合っている。たとえば文化的環境が性的活動に制約を与えるといった場合である。このようなことももちろん問題ではあるが、サリバンによると、大部分の心理的の問題は、心理的安全性を得ようとする作業の際に遭遇する困難のために起こるものだという。なお彼によれば、この安全性とは、自分が周囲から受け入れられているという、つまりは親近感とかかわり合いをもつものである。それゆえに幼児や小児は、両親や周囲の人々の賞讃によって安泰を感じ、その非難または否認に会うと、安全性が損われるので不安を感じる。そして小児は、それまで満足を得るために用いていた手段―― たとえば空腹の時に泣くといったような―― が、もはや効果を奏しないのみか、かえって大人の非難の対象となるということを認識して、それを取りやめるので、一旦できあがった行動の型は制止され、このことがまた小児の不安を募らせる原因となる。かくて不安はひとえに他人との交互作用、すなわち対人関係によって発生するとサリバンは考える。

彼によると、しかし不安は、制約的ではあるけれども、自己の形成にとって潜在的の力ともなるという。すなわち「不安は、それをひき起こした状況を意識から閉め出そうとする傾向をもつ」ので、非難によって生じる不快感を避けようとして、小児は、大切な人々から喜ばれ受け入れられるような面を発達させようと努めるようになるのである。かように、心づかいを一点に集中することによって、小児は自己を進歩させるのであるが、その

反面、小児期に他人から受ける不安があまりに強度なものであると、物事に対する正しい観察が妨げられ、知識の獲得が困難となり、結局正しい予見が不可能になって、人格のゆがみが生じるのであるという。

もしサリバンの言うように、周囲の非難が小児の安定感の喪夫と不安発生との原因であり、またこの非難が、発育期を通じて、小児の両親や身近な人々からなされるのであるとすると、形成された人格の中に、すべての発育可能性のものが取り込まれるか否かは、かかって周囲の文化酌傾向によるということになる。たとえば、もし両親が子供を尊敬して、これを愛するならば、子供は自己評価をもつようになるが、その反対に、両親の子供に対する態度が侮蔑的であると、子供は自己評価を発達させることができないというわけである。

要するにサリバンの人格構成論においては、自我組織というものは、他人との接触の経験において、賞讃を得ようとする欲求と、非難を避けようとする努力との中に生まれるものだとするのである。

 

3種類の体験様式

ところでサリバンは、対人関係の見地から3種類の体験様式または行動形式を区別した。すなわち言語発育その他の象徴の形成以前の乳幼児の時期における原形的体験様式と、長じて共同体との共調の可能になった時期における共調的体験様式と、最後に、これら2つの時期の中間で体験されるパラタキシックな体験様式である。そしてこの最後のものは、言語などの象徴は形成されているが人間関係の経験に乏しい状態において見られる、主我的で自閉的で幻想的な体験様式であって、サリバンの理論、ことに疾病論にとって最も重要な概念である。

彼はまた同じく人間関係という観点に立って、新生児から成人までの過程を7つの時期に分けた。そしてそれら各々につき人格形成の経過を詳しく記述するのだが、彼の疾病論の基本となるものは、乳幼児期から児童期という人生の最初期の人間関係、ことに規子関係、とりわけ母子関係の良否と、子供に対する躾けや教育の適否と、親や近親者の望ましからぬ人間性の、子供に与える影響とである。彼はこれらが、発育期の子供の体験様式に決定的な影響を与えて、最も望ましい共調的体験様式の上に自我組織を形成することを多少にかかわらず妨げるのだという。このように素地付けられた人格は、自己が社会から容認されぬことによって、つねに心理的安全性を脅かされ、絶えず不安を感じている。そして後来、この不安を著しく増強させるような何らかの状況に遭遇すると、この不安を避けようとして、彼なりの手段をめぐらすのだが、その結果は、幼児期の体験様式への退行の形を採り、ことにパラタキシックのゆがみが顕著に表面に現われてくる。―― これが、サリバンの性格構造論と精神疾病論の基調をなすものである。

ここに興味のある挿話として、サリバンと学問的に最も親交のあったトンプソン女史の

語るところによると、この理論を立てたサリバン自身、その幼少時期の親子関係において、彼のパラタキシックな理論に似た体験を深刻に味わった人だということである。              .

 

サリバンの精神分裂病発生論

以上のような力動論をもってサリバンは各種の精神障害の説朗を試みた。その対象はパニック、ヒステリー、幻覚症、躁欝病・、妄想状態等に及ぶが、中でも強迫症精神分裂病とに対して、彼は最も大きな努力を傾けた。

彼の主張の中で著明なことは、強迫症がたやすく分裂病に発展するという一事である。この事実に注目して彼は、もし半世紀以前であれば生涯強迫症の段階に止まり得たと思う症例が、現代では、社会の複雑化と発展とに伴い、分裂病にまで進んだと見なされるものがあると考える。ここにもサリバンの分裂病に対する力動的発生観がはっきりと現われているように思われる。

ここでサリバンの分裂病に対する見解を、もつと詳しく説明せねばならぬところだが、彼の論述は定評通りの難解なものである。そこで、かつてこのワシントン学派に学び、トンプツン女史やサリバング友人たちからサリバンについて瀾き学んだ阪本健二博士のサリバン紹介の一部分を、以下にそのまま引用させてもらうこととしよう。この紹介は、はなはだ明瞭で要を得ているものと思うからである。なお分裂病についてのサリバンの初期の論文のうち、主要なものは、“Schizophrenia as a Human Process”と題する一書に編集されて出版されているが、これを読むと、サリバンの立場が、フロイト的なものから漸次、社会科学を導入した対人関係学説へと展開して行く道程を感じ取ることができる。そして以下の阪本博士の紹介は、サリバンの辿りついた最終的の見解と見なすべきものであろう。

「・・・・分裂病をサリバンは、強力な不安の影響の下で、自我組織がその統一を失い、解離に失敗した状態と考えた。それゆえ自開的な考えが意識領域に浮かび上り、パラタキシックな体験様式がよみがえってくるのである・・・・」。

「・・・・ 一般に精神分裂病患者の自我には、幼年時代に当然両親から受け入れなければならないはずの、子供としての社会での役割を規定する部分―― 自分は何者であるか、自分は何になるべきか、人は自分から何を期待するか、といった問いに答えることを可能にする部分―― が欠如している、r」いうよりはヽ このような問い、答えるのを不可能にしている両親からの影響が発見される。・・・・彼らがなすことは両親によって否認され、しばしば不当にひどく罰せられる。このような場合、彼らは、どうしたら両親に認められるか、全くわからなくなってしまう。その上、両親自身の不確実さや不安は、エンファシーによって子供に転移される。・・・・それゆえに、このような子供には深刻な悲観主義が成長し、自分には価値がない、愛される値打ちがない、正しくなることは不可能である、という確信をもつに至る・・・・」。

「・・・・最初の重大関係をこのように見る子供は、他人と真の接触を得ようとする勇気をくじかれてしまう。このようにして、次の幼児期における力強い体験の摂取、すなわち、これは何であるか、なぜそうか、この人は何者であるか、という問いは抑圧されてしまう。ところが、かかる問いの答えこそは、共調的体験様式と相侯って、人間を、因果性の確立した現実の把握へと成長させてゆくものなのである。このような正常な発展を遂げる代わりに、彼らは無気味な多義的なパラタキシックな体験様式を固執するようになる。後に発病するに至る人間が、子供時代には、夢見る幻想的な孤独者としての傾向をもつことは、以上の仮説を裏書きしている・・・・」。

「・・・・しかし、たいていの場合、・・・・子供は欠陥をもちながらも、何とか自我を発達させてゆくのである。彼らの多くは、知的能力、勤勉き、品行方正などによって大人の賞讃を博そうとし、これによって、不安定ながら一定の自己評価を形成してゆく。しかし他方、彼らは、自己の自閉的な体験が他人に理解できないことを知り、体験をあまり表現しなくなる。そしてパラタキシックな体験に落ち込みやすい傾向をもちつつ、他人との接触を失ってゆき、抽象的な仕事に打ち込んで周囲から離れ、外界から目をそむけることによって自己評価を保ってゆくのである。サリバンはこのような生活態度を分裂病的生活方式と呼んだ・・・・」。

「・・・・前分裂病状態の人間は、このような型で彼らの生活を形成し、自己の価値評価は、いわば細い一本の糸でつながった非常に傷つきやすいものとなる。彼らにとって本質的である自己の心的内容はnot meの一部に属し、不安定な自我を脅かすものとなる。このような状態の人間が、何か強力な不安に満ちた体験に出会うと、当然の結果としてその自我は統一を失い、解離に失敗して発病するのである・・・・・」。

なおこの節に出てくるnot meまたは解離などの概念も、サリバンの理論の中で大切な部分であるが、紙数の関係もあるので説明を省略する。

「‥‥このようにして、意識を統御し思考の論理性を保つという、自我組織の最も重要な機能が傷害される。患者はパラタキシックな体験様式に退行し、その極期においては、思考は秩序を失い、自我と外界との限界は消失して、較ぶべくもないような強大な不安が支配して、体験は悪夢のような様相を帯びる。このような未分化の状態は, サソバンの意味での分裂病の初期には必ず存在するものである・・・・」

以上が、サリバンの考える分裂病の発病初期の心理的力動であって、彼はこれを新生児への退行と考えた。そして緊張病性昂奮と昏迷状態とは、この不安と危機感とから逃れようとして患者が試みる二つの行動形態であると説明するのである。

この最初期の状態を、サリバンはカタトニアと呼ぶが、これは比較的良性のもので、患者は一定期間の後に、大きな変化を遺すことなく、一応、以前の生活様式に復帰することが稀でない。しかしその他の場合、患者は、その自我組織が発病前の状態に戻る前に、カタトニアの状態から脱出しようとして、自我組織の再構成を始めることがある。そしてかかる場合には、患者は2つの機制を用いて合理化を計ろうとする。 サリバンによって、妄想的解決と破瓜病的荒廃と名付けられたものがそれであり、サリバンはこうして分裂病に現われる種々異なる状態の発生を説明しようと試みるのである。彼によれば、このようにして慢性化した分裂病者は、ゆがめられた自我組織に固着して、不安のない人間の存在様式とは無縁なものとなってゆき、ついには身体的植物的な存在という段階にまで退行してしまうのである。

こうしてサリバンは、分裂病者が人間関係を保ち得ないのは、正統精神分析が説くような自己愛的傾向のためではなぐ、外界との接触が強大な不安をまき起こすことに出来するのだと説くわけである。

なおサリバンは、精神療法的応用をつねに念頭に置いてその疾病論を展開するので、分裂病対策においても、上述の分裂病理論に基づき、医師対患者のきめの細かい関係という点を重視した。そして医師はある程度まで、患者の子供時代に重要な意味をもった親近者の役割を引き受けて、子供時代の病的な影響を修正してやらねばならぬと強調する。そのためには患者の小児時代の家族関係を知悉することが前提であるのは言うまでもない。

近年、精神分裂病の精神療法が臨床家の関心を集め、またその家族関係の研究が盛んになってきているが、サリバンの理論は、このような機運を作り出すのに重要な役割を果たしたものと評価すべきであろう。またフロイトがその精神分析理論をヒステリー機制の研究から発展させたのに対して、サリバンは、その人間関係理論を主として分裂病の観察研究から展開させたところに大きな特徴をもつということができる。分裂病以外の種類の精神障害の発生に対して、サリバンが、その学説をどのように適用しているかも問題であるが、紙数の関係上、ここではその紹介を省略する。

サリバンとミンコフスキーとの対比

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(SBPFEより)

ウジェーヌ・ミンコフスキーEugène Minkowski、1885 - 1972)
 

上述のような近代アメリカ精神医学の有力な傾向について、サリバンと志を同じくしているルーシュは、次の意味のことを述べて、まことに意気軒昂たるものがある。ルーシュによれば、アメリカの精神医学者は、彼らの思考様式にならって、測定できるものだけを真実とし、また、あらゆる精神病理学的現象を、文化的関係から生じたコミュニケーションの障害と理解しようとする。・・・・アメリカの精神医学者は、将来の希望の約束される事柄を信じ、この意味で、遺伝学や体質学や現存在分析などを重要視するヨトロッパの精神医学者の諦観的歴史主義とは異なるというのである。あらゆる伝統的思想や研究成果は、少なくともここでは著しく軽視されていると感ぜざるを得ない。こうした一方的な考え方が果たして真理に至る正しい道であるか否か、研究者たるものは冷静に反省すべきではなかろうか。

アメリカにおけるサリバンの分裂病理論を紹介したところで、ヨーロッパにおけるもう一つの有名な分裂病論のあらましを次に述べて、第二次世界大戦前後における両大陸の研究方向が対称的であったことの理解に資したいと思う。それはフランスの著名な精神医学者ミンコフスキーの分裂病論である。

サリバンとミンコフスキーとの対比は、その学説以外にも興味深いものがある。私は、オイゲン・ブロイラーとアドルフ・マイヤーとを対照せしめて、その分裂病論の相違点を紹介したが、計らずもサリバンが、マイヤーの影響をも強く受けた分析学的精神科医であるのに対し、一方のミンコフスキーは、ブロイラーの最も忠実な門弟であると共に精神分析に対する理解者でもあるのである。いわばサリバンとミンコフスキーとの分裂病論は、マイヤーとブロイラーとの所説の、両大陸におけるその後の発展を代表するものとも見なし得るものである。そして事実サリバンの所説の中にはマイヤーを髣髴せしめるものが多い。サリバンは分裂病の病像を全体として捕えはするが、この疾患の精神病理学的中心症状の検討には明瞭を欠く傾向を有するのに対し、ミンコフスキーの分裂病論は、ブロイラーの努力に似て、分裂病の基本障害の追究という精神病理学的研究に重点を置いているのである。

ミンコフスキーの著書「精神分裂病」は、ブロイラーの分裂病論を正しく理解しなかったフランスの精神医学界を啓蒙する意味もあって書かれたものだが、その一方、ミンコフスキーはこの書において、その師ブロイラーを乗り越えて新しい理論を打ち立てたのである。ミンコフスキーはまたL・ビンスワンガーとともに、哲学の援用を受けることによって、現代の精神医学界の趨勢の先駆者的役割をもつとめたのであった。ちなみにこの書の初版は1927年に出版されたが、その主要部分に何らの手を加えることなくして1953年に再版が出されている。この永い年月の間、著者の考えの大綱が変わらなかった証拠であろう。なお村上仁教授によるこの書の日本訳はきわめてすぐれたものであり、本紹介もこれに負うところが多いことを附記しておく。

ミンコフスキーの分裂病に対する基本的の考え方は、その師ブロイラー、並びに分裂気質や分裂病質の概念とその体質的研究とを発展させたクレッチュマーの考え方と全く同じである。要するに分裂病とは、遺伝と体質とを基本に置いた特別な性格傾向が分裂病的過程を経て発病に至ったものだというのである。そして彼は、ブロイラーの業績は、基礎症状を求めることによって精神病理学的研究に洋々たる未来を開いた意味で、はなはだ偉大であったと評価する。精神分析に対するミンコフスキーの態度もブロイラーのそれにほぼ近い。すなわち症状形成に及ぼすコンプレックスの影響は、多くの場合、注意すべきではあるが、これによって分裂病全体を解明することは不可能であり、ことに、これによって基礎症状を説明することはできないとするものである。

「現実との生ける接触の喪失」

それならば、ミンコフスキーとブロイラーとの意見の異なるところはどこであろうか。それは分裂病の基本障害に対する見解の差異である。

そもそも早発性痴呆の概念が確立され、その臨床症状が記述されて以来、多くの研究者が努力したことは、これらの臨床像と症状とを包括して説明し得る基本障害を見出して、その性質を明らかにすることであった。ストランスキーによる「精神内界の失調」という考えは最も有名なものの一つであるが、各研究者の考えはさまざまで、その中には比喩をもって表現したものもあった。「指揮者のない管弦楽」(クレペリン)、「燃料のないエンジン」(シャラン)などがそれである。 しかしミンコフスキーは、比喩からは真の科学は生まれないとする。そして彼の心服するベルグソンの、「われわれの生には論理的思惟をもってしては決して捕えることのできない重要な一面があり、知性に相対する本能による直観性が、しばしば真実を明らかにする」という思想に拠って、「現実との生ける接触の喪失」こそ、分裂病の基本障害たるにふさわしいものだとの結論に達したのである。この点に関して彼は次のように述べる。

「・・・・・私は一方ベルグソンの思想から大きい影響を受けた。他方、私はブロイラーの著書に見出される“外界に対する関係の深刻な障害”という理念に着目したのであった。ブロイラーが前景に持ち出したのは、思考、感情、意志に関する基本的要素的症状である。彼はまた現実との接触喪失(自開性)を説くけれども、この現実との接触喪失をば、それから他のすべての症状を導き出し得るところの基本障害とは見ていない。ブロイラーにあっては、現実との生ける接触は、いまだすべての精神機能の上位に立つところの生の本質的統制者とは考えられていない。連合説に忠実であったブロイラーは、観念連合の特有な障害が分裂病の一次的障害であるとの意見を持っていた。・・・・このようにしてブロイラーと私との間に見解の相違を来たしたのはやむを得ない・・・・」と。

従来用いられていた精神病理学的概念と趣を異にする、多分に人間学的な新しい概念を提案したことに関して、ミンコフスキーはなお次のように述べている。

「・・・・現実との生ける接触の喪失なる概念は、いわばチューリッヒ学派(ブロイラー)の臨床的努力と、ベルグソンの思想との接合点である。・・・・・真の哲学は常に人間心理についての知識の無尽の源泉であるから、心理学や精神病理学が哲学と接触して得るところのあることを私は確信する・・・・」と。

ミンコフスキーのこの著書の中には、ブロイラーがミンコフスキーのあまりに哲学的な傾向を、親しげな調子ではあるが、絶えず非難していたというような、ほほ笑ましい挿話も出てくるし、次のような部分もある。

「・・・・現象学に関しては、ブロイラーがその大著を著述していた際に、フッセルの哲学的論文について全く知らなかったことは疑いを容れない。その後も彼は精神病理学的現象に現象学的方法を用いることに対しては、あまり賛成しなかった。ブロイラーの直弟子の中では、この方法の適用を試みたのは、ビンスワンガーと私だけである・・・・・」。

これに、哲学の導入を容認するようになったその後の学界の趨勢を顧みて、興味のある話であり、またミンコフスキーの役割をよく示す事実でもあろう。

 

「自閉性」概念の確立

上述したょうに、ミンコフスキーの新しい概念は、ブロイラーもある程度重視した自閉性の概念から出発したと言えるものだが、その内容を一層明瞭にし、かつこれに他の諸症状の上位概念たるの位置を与え、分裂病症状の特異性をこれによって包括して誌明することができるとしたところに、ミンコフスキーの特徴があると言えよう。

たとえば彼は自閉的の活動性という言葉を使う。ブロイラーが当初の間、フランスで誤解されていた理由の一つとして、ブロイラーの言う自閉性が、自閉的感性とか自閉的思考とかのみを想起させ、内省どの同義語と解され勝ちであったことをミンコフスキーは指摘する。分裂病者に、外部に向かっての活動性のあるこどは疑うべくもない事実であるが、従来の理論的説明においでは、すべでの分裂病の受動性、内向性、夢想のみが重く見られて、その行動性が閑却される傾ぎがあった。そこで、ミンコフスキーは、活動性をもった分裂病患者の病歴を説明しながら、かかる患者の活動は、やはり現実との「生きた」接触の損われた、ひとりよがりの、硬化した、非創造的の、分裂病独特の自閉的活動性であるとして、次のように説くのである。

「分裂性性格者の中には、内向性の人もあり、外向性の人もあり、強靱な人もあり、弱い人もあり、活動家も夢想家もある。しかし彼らのすべては、その外界との関係において共通な特徴を有し、この点で分裂性性格者に属するのである」。

こうして、自閉的活動こそ、むしろすべての分裂病の主要な症状であるとまで彼は言うのである。自我と外界との境界は身体の表面だとする生理学的思考をするからこそ、自閉性の考え方というのは受動的な静的なものだと考えやすいのだが、しかし事実はそうではない。

「・・・・・行動せる人間は、本来外部に存する目的に向かって努力し、仕事の完成と共に、彼は彼自身を超越する。かくして人間は、いわば外界の一部を切り取って、これを自我の内に包摂するのである。人間は目的の設定と共にその目的と一体となり、また目的達成のために彼が使用する外部の力とも一体となる。この場合、自我と非我との境界線はもはや身体の表面ではなく、むしろこの表面を越え出る・・・・」。

これが、健康人における現実との生ける接触であるのに、分裂病者ではそれが喪失されるから、その活動性はいかに大きくとも、直観性と創造性と実践性とのない、硬直した、常同的な、自閉的行動に終始することになるのだというのがミンコフスキーの考えである。

ミンコフスキーは、このような考え方が、病的の夢想や不満や悔悟などを常同的にもつ分裂病の病像にも当てはまるとして、数多くの興味深い病歴を紹介するが、その詳細は原著で見てもらうよりほかはない。そしてミンコフスキーはここで、普通見られる運動的常同症に対比して、精神的常同症という言葉を用いるのである。

分裂病の精神的内容を考慮して、ミンコフスキーは、自閉性を、「豊富なる自開性」と「貧弱なる自閉性」の2つに区別する。そして前者は、想像的夢想的世界の発現によって特徴付けられるとした。つまり分裂病者の内界にしばしば発見されるところの、複合観念に支配される世界であって、それはこの病気の発生理論にとって興味をもたれた病像である。これに対して後者は、現実から逃避して架空の世界に避難所を求めるのではなく、その反対に、絶えざる活動を示すものである。ただその活動性が、著明な病的性質を帯びていて、現実との結び付きの断たれた、あたかも外界が存在しないかのような行動となるのである。そしてミンコフスキーは、分裂病の統一的理解にとっては、この両者のうち、「貧弱なる自閉性」の方が重要であると言っている。その理由は、豊富なる自閉性では、正常な生命の或るものがまだ残存しているからだというのである。一つの疾病を規定すべき基礎は、侵された人格の欠損面を明らかにすることであるというのは、彼が繰り返し主張するところである。そしてこの意味で、「貧弱なる自閉性」こそ、その条件にかなうものだというのである。

以上にその大筋を紹介したミンコフスキーの精神分裂病論は、その大部分がきめの細かい精神病理学的記述であって、病因論ではない。従って本展望が最初から志してきた発生論、もしくは構造論とは、いささかその目標を異にしている。それにもかかわらず私が敢えてそれを紹介したのは、本章の前半で紹介した北アメリカ合衆国の精神医学の傾向と、ヨーロッパ大陸のそれとの対照を明らかにしたいと思ったからである。アメリカの、楽観的で、精神力動主義的で、個々の症状の立ち入った分析よりも全体像の大ざっばな把握を重視する傾向に対して、ヨーロッパの、思索的で、きめの細かな精神病理学的の、遺伝体質などをも軽視せぬ傾向が、著明な対照をなしていることは、何びとの目にも明らかであろう。

ミンコフスキーによって、哲学的直観が精神医学の中に導入されたことも――1800年前後に、カントを中心として、精神病が、哲学や人間学の立場から研究された時期はあったが――、ヨーロッパ的傾向に一つの新しい特徴を加えたものとして見逃すことはできないであろう。次章では、その最も顕著な例として、L・ビンスワンガーの現存在分析の学説を紹介することとする。