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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

ジャネの心理的緊張学説と段階的構成論

ジャネの心理的緊張と精神衰弱症

ジャネの業績の核心をなすものは心理的緊張(la tension psychologique)の学説である。

「ジャネの理論を理解する上に常に必要な概念は、精神の総合の能力という考えであろう・・・・それはすべての心的機能を統一し、より高次の行動を可能ならしめる機能である。意識とはまず総合の能力にほかならない。

ジャネによれば、二重人格、心因性記憶脱失、その他ヒステリー、精神衰弱症さらに精神病の症状は、すべてこの総合の能力の弱さないし減弱にほかならない。・・・・ジャネは、この総合の能力は、現実への緊張的態度、すなわち現実において有効に実践しようとする主体の緊張から生ずると考えた。・・・・彼はこの心理的緊張の諸形態について、詳細な臨床的観察に基づいて記載し、ヒステリーを、一時的な緊張の低下を来たす一群の疾患と解し、またほとんど恒常的にこの心的緊張の弱さに苦しむ患者に、精神衰弱症という名称を与えた。大まかに大別して、精神疾患をこのように3分類する考えも、ほとんど全生涯続いているようである・・・・」。

ジャネがヒステリーの心理学的性質として指摘した意識の狭窄も、心的緊張の部分的減弱にほかならない。

精神医学の臨床の上で、ジャネの名と最も強く結び付いているのは、彼の提唱した精神衰弱症(psychasthenie)である。彼の定義によれば、「精神衰弱症とは、心理的緊張の減弱によって特徴付けられる精神的抑制の一型である。この精神機能の低下は、現実への適応を妨げ、また現実を曲解せしめて、現実を疑惑、不安、苦悶、強迫の形で過敏に体験させる結果を生む」ものである。

この「疾患」を、さらに二つの症候群に分ける。その第一群は、一次性の、また基礎的の状態で、緊張性の強い欠損だけに相応する症候群であり、また第二群とは、緊張性の低下に伴い、二次的に感情の動きが刺激されて昂進した状態であって、知性、運動性、感情生活の種々な面に現われる昴奮状態である。

ジャネは精神力と心理的緊張性とを注意深く区別する。前者は意志力に相応するエネルギーの全量であり、後春は、行為の種類によって配分を区別するエネルギー使用を意味する。彼の比喩によれば、前者は軍隊の全戦闘力に当たり、後者は、この戦闘力の作戦的使用に相当するという。そして精神衰弱症においては、この心理的緊張性は低下するが、精神力の方には種々の場合がある。もしも精神力が大きいと、昂奮症状も強く現われる。そしてこの場合、自動性(automatisme)に富んだ低次の機能が一見新しい症状として表面に現われて、高次層の欠損を覆い隠すような観を呈することがしばしばある。その一方、精神力が弱い場合には、ネガティブの症状が現われて、心理的緊張の減弱に相応する「衰弱」をもたらし、それがこの疾患の特別の特徴として示されるというのである。

ジャネによると、精神衰弱症において心理的緊張性を必要とする過程の中には大きな差別がある。観念的な、あるいは抽象的な対象に対しては、適応の困難はそれほどでないが、認知、変形、弁護などの過程を必要とする現実の対象が目前に迫っている場合には、適応が著しく困難となる。ここでは、幾つかの努力を結集して一つの行動へと総合させる「実在機能」(fonction du réel)が必要とされる。すなわち精神衰弱症に基本的に欠けているものは、現実と現在との認知の障害であって、これは生活に直接適応するのに必要な、あらゆる行動の上に現われる。優柔不断、信頼感または注意の不足、現在の状況との結合感を持つことの不能等が基本症状であるが、彼はさらに離人症、虚無感、不全感、自我の二重化や不在感等をも数えあげて、その心理過程について詳しく記述している。そして結局、精神衰弱症は緊張低下症または無緊張症と同義だというのである。

ジャネの言う精神衰弱症とは、強迫観念、恐怖症、チック、不全感などを主徴とする慢性の神経症であって、今まで神経衰弱症と呼ばれていた疾患群のほか、現在の分類による分裂病、とりわけ幻聴や妄想などの精神病的な症状の著明でない、軽症の分裂病も多く含まれているということである。

 

ジャネの段階的構成論

上述した二次的刺激症状の発現の記述からも推察されるように、ジャネは種々な心理現象の段階的構成、すなわち、ある意味での層次構造を考えていた。これもジャネの思想の中で非常に重要な部分だと思う。彼によると、最上位に位するものは、高い心理的緊張性による現実の認知である。この心理的緊張性は、高い意識水準と区別できないものであって、それゆえに目前の現実に向けられた注意力、すなわち覚醒をささえる力でもある。その最上位のものの下に、新しい現実の事態に対する鋭敏な感情から解放された無個性の行為や認知を置き、さらにその下に、過去への無益な追想、想像、夢想を置き、そして最下位なものとして、感動によって起こされる無用の運動や、内臓または血管運動の諸反応を置いた。そして高次の心理的緊張性が低下したとき、それより低次層の機能が補充として表面に現われるとする。このようにしてジャネは、不安、恐怖、強迫などの出現の意味を解釈しようとするのだが、それは原則から言ってジャクソンの解体論を彷彿たらしめるものである。なおジャネがこの精神衰弱症の学説を最初に発表したのは1903年のことであった。

内村祐之:精神医学の基本問題1972参照)