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精神分析に対する批判

精神分析に対する批判

フロイトの不屈な闘魂と確信と、それに従来の通念から全く離れた大胆な理論とは、すべての専門家を、彼に賛成か反対か、味方か敵かに、はっきりと区別してしまった。また永らく彼と行を共にしたにもかかわらず、意見の食いちがいが元で、彼から別離を申し渡された人もいる。アルフレッド・アドラーとC・G・ユングの2人がその代表者である。中にはオイゲン・ブロイラーやエルンスト・クレッチュマーやカール・ボネファーのように、フロイトの学説の長所は長所として認め、認めがたいものは静かに無視するというような良識派の学者もあったが、これはむしろ例外と言うべきであろう。この中のブロイラーは次のように言っている。「フロイトは研究するに価する。しかしその事実上の基礎は、従来の心理学が意識していたところを多く出ていない」(1919年)と。

フロイトの学説への賛同者はアメリカやイギリスの学者の中に多かった。フロイトアメリカヘはすでに1909年に招聘されて、かの地で連続講演を行ないアメリカ学界に大きな影響を与えている。これに反しフランスでは、ジャネとの間に永く議論が続いたし、ドイツでは、当時精神医学界をリードしていた高名な学者たちから激しい反論を浴びた。ここに興味のあるのは、疾患単位か症候群かについて真向から対立していたクレペリンとホッヘの両雄が、ここではくつわを並べて、フロイトに激しい反対を表明していることである。クレペリンは吐き出すような口調で言う、「・・・・ヒステリー分析の論文(フロイトの)を読んで、過去のあらゆる性的体験を問題にすべきだという、その運動の害毒と、唾棄すべき点とに気が付かぬ者は、何とも救いようがない・・・・」と。毒舌をもって鳴るホッヘもまた言う、「治療法としての精神分析の基礎となっているものは、病的の教義であって、頽廃者や弱者に対する治療教である。・・・・精神分析運動は、無意識という証明不可能の領域に突き進もうとする無益な試みである・・・・」と。

感情的とも見える、これらの素気ない批判とは異なり、厳密な方法論的立場に立って精神分析理論に反対の立場を取ったのはヤスパースである。彼は終始、精神分析に反対の立場に立ち、それのみかフロイトを、科学のメディウムの中で全く科学的でないなのを貫こうとする「敵」と見なしている。ヤスパースが30歳に満たぬ若い精神医学者として、その「精神病理学総論」を著わした1913年という時期は、一方ではクレペリンを中心とする純自然科学的、客観的観察方法が思ったはどの進展を見せず、彼の疾患単位学説にも、ホッヘを先頭とする異論が起こっていた時期であり、他方フロイト精神分析運動は、心理学者や一般人の間に広く喧伝されて、これに反対する精神医学者の声もまた、かまびすしいころであった。

若き日の俊敏なヤスパースは、この混乱の時勢をさとくも感じ取ったのではあるまいか。彼の現象学精神病理学は、クレペリン一派の、客観性を重視するあまり患者自身の体験の主観性に重きを置かなかった人々に正しい認識の範囲内でこれを方法論の中に採り入れるべきことを提唱すると同時に、フロイトらの、患者の体験に最重点を置き、これの解釈を中心として作られた理論が、しばしば「かのごとき了解」の観を呈することに対して警告を発する役目を負うものとなった。このように諸学説の推移を時間的に追ってみると、ヤスパースの発表は正に時宜にかなった記念すべき業績であったと思い返されるのである。

精神医学プロパーの側からの精神分析批判は、第一次世界大戦後もなお続いたようである。精神分析にさまざまの修正が加えられ、これに対する理解が著しく増したのは、おおむね第二次大戦終了後のことであった。

内村祐之:精神医学の基本問題1972参照)