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自我欲動の役割

自我欲動の役割

この辺から話は性欲動に対する自我欲動の重要さの説明に入る。

「・・・・ところでリビドーの欲求に対して抗議する勢力、すなわち病因となる葛藤における相手方の一方は何でしょうか。ごく一般的に言えば、それは性的でない欲動の諸力です。私どもはそれを総括して自我欲動と申します。・・・・病因となる葛藤は、それゆえに、自我欲動と性欲動との間の葛藤なのです。一連の症例では、さまざまな純粋の性的欲求の間の葛藤であるかに見えますが、しかし、それも基本的には同じことです。何となれば、葛藤状態にある2つの性的欲求のうち、常にその一方のものは、いわば自我に忠実なものであり、他方は、自我の防衛に挑戦するものだからです。つまり、これも自我と性欲との間の葛藤であるわけです」。

「・・・・精神分析は、性的でない欲動の多くが存在することを決して忘れてはいません。そして精神分析は、性欲動を自我欲動からはっきり区別することの上に打ち立てられたものです。神経症は性欲から生ずるものではなく、自我と性欲との間の葛藤にその根源があるということを、あらゆる反論に抗して主張しているのです。・・・・ただ感情転移神経症によって、いち早く性の欲動に対する洞察ができるようになったことと、他の人々がゆるがせにしていたものを研究することが責務であったために、まず第一に性欲動の研究に従事することが精神分析の運命となっただけのことです」。

この辺の口調は、性欲動一辺倒の立場に修正を加えていったことに対するフロイトの弁明のように聞こえる。

「このようにして私どもは、神経症原因論の第二の要素である葛藤傾向が、リビドーの発達によって左右されると全く同じく、自我の発達によって左右されるとの知識をもつようになります。神経症の原因に対する私どもの洞察は、このようにして完成されたのです。第一に、最も一般的な条件として拒否、次に、一定の方向に向かってリピドーを押しやるリビドーの固着、そして第二が、自我の発達によってこのようなリビドーの昂奮を拒んだ葛藤傾向です」。

そして次の一節は、フロイトもまた人間精神の発達にとって系統発生学的観点の重要であることに注意を払った研究者であることを示すものである。
「・・・・自我とリビドーの両者の発達を評価するにあたっては、これまで、あまり認められなかった一つの観点を、前もってお話しておかなければなりません。それは、これらの発達が、根本においては、全人類が太古の時代から非常に長い年月を通して経て来た発達の遺産であり、短縮された形の反復だということです。リビドーの発達には、この系統発生的な由来が明らかに見られると私は考えたいのです」。

そしてこの章の最後を彼は次の一節でまとめている。
「・・・・人間の自我が、リビドーと同じようにその発達史を持っているとすれば、自我の退行という現象が存在すると聞いても、誰もが驚かないでしょう。そして自我が以前の発達段階に戻るということが、神経症罹患にあたって、どのような役割を演じ得るかを知りたいと思うことでしょう」。                               

「症状形成の経路」の章からは、次の短い引用に止めよう。「・・・・葛藤をしている一方は、現実によって拒否されて満足の得られないリビドーですから、それは満足を他の方途に求めなければなりません。・・・・こうしてリビドーは止むを得ず退行の道をとり、すでに克服した体制のうちのある段階に立ち戻るか、以前に放棄した対象の一つによって満足を得ようと努めるかすることになるでしょう。リビドーはその発達の所々に残して来た固着に引きずられて、退行の道をとるのです」。

神経症患者の若い時代の生活史の中で、たえず繰り返されて、ほとんど例外のない出来事のうち「特に重要な二、三は、他の出来事に比べて特筆の価値があると思います。この種の出来事の見本として私が挙げたいのは、両親の性交の目撃と.大人による誘惑と、去勢するというおどかしです」。

神経症心理学は、他のあらゆる源泉にもまして、人間発達史の遺物を私どものために保存しておいてくれたと、私は繰り返し考えぎるを得ません」。

次の章には「普通の神経質」という題目がついているが、この神経質という言葉は、精神分析以外の精神医学で普通に用いている神経質の語とは意味が違うようである。フロイトは、その主力を注いだ感情転移神経症を、場合によっては精神神経症と呼び、それに対比するものとして現実神経症を挙げているが、その後者を、ここで「普通の神経質」と呼んでいるように思われる。この章からも、ごく短いものを引用するに止める。

「・・・・神経症患者が、葛藤の起こるたびに“疾病への逃避”をきめこむことができた場合、二、三の症例にあっては、その逃避は十分に正当と認めざるを得ないものがあります。・・・・このような例外を除き、ごく一般的の状態の下では、神経症の中へ逃避することによって、自我に、ある程度の内的の“疾病利得”が与えられることを私どもは認識します。これに加えて、ある生活状態においては、現実に多少とも高く評価される、はっきりした外的の利益が加わります」。

「・・・・いわゆる現実神経症の普通の型のものにおいて、性生活が病因的意義をもつことは、観察に合致する大きな事実です」。

「・・・・私どもはこれらの類比に基づいて、(現実)神経症を性的物質代謝の障害の結果と見なさざるを得ないと考えます」。

内村祐之:精神医学の基本問題1972参照)