うつ病の分子神経生物学
(Krishnan V, Nestler EJ. The molecular neurobiology of depression. Nature 2008; 455: 894–902.)
うつ病の神経回路
- 情動制御は、視床、扁桃体、海馬を含む大脳辺縁系と背外側前頭前野、眼窩前頭皮質、前帯状回を含む前頭前野が重要な役割。
- 死後脳、画像研究-うつ病の無価値感、罪責感などの認知機能障害で前頭前野、海馬の灰白質・グリア細胞の減少。
- fMRI、PET-扁桃体、帯状回膝下部(subgenual cingulate cortex: Cg25)は不快感情と強い関連。
- 前脳領域の神経回路は、モノアミン投射を制御し、注意や覚醒度を調整しながら情動を制御していると思われるが、うつ病は複数の脳部位や神経回路が関与。
- 視床下部の特定の神経核がうつ病の自律神経系を調整。
モノアミンの役割
- シナプス間隙におけるモノアミン濃度の上昇によって抗うつ作用が発揮。(モノアミン欠乏仮説)
- モノアミン濃度上昇は急性薬理作用として比較的短時間に起きるのに、実際のうつの回復には数週間かかり、そのタイムラグを十分説明できない。
- 1980年代抗うつ薬の慢性投与によって5HT2A、β-NA受容体数の減少、死後脳で受容体数増加。(受容体過感受性仮説)
- SSRIを長期投与してもβ-NA受容体のダウンレギュレーションは起きないため、この仮説の一般性は否定。
- p11と呼ばれる脳蛋白質と5-HT1Bがうつ病との関連。 p11ノックアウトマウスでうつ病に似た行動が観察され、p11の増加が うつ病を改善させる。
神経因性仮説
- ストレスで海馬などの神経新生を抑制し、神経萎縮が起こる。
- ストレスでBDNF(brain-derived neurotrophic factor:脳由来神経栄養因子)やVEGF(vascular endothelial growth factor:血管内皮増殖因子)の発現量が減少するが、抗うつ薬で増加する。
- X線照射による海馬神経新生の阻害により、抗うつ効果が発現せず、抗うつ薬の作用発現に海馬神経新生を要することが示唆。
神経内分泌
- ストレス負荷が持続するとグルココルチコイド(GC)の上昇が遷延し、海馬のCA3ニューロンが障害。
- うつ病の半数で、GC上昇→海馬傷害→HPA系抑制を減弱→GC上昇という悪循環。
- GCないしCRH受容体アンタゴニストが新規抗うつ薬として期待されている。
- 動物実験でステロイド合成阻害薬のmetyrapone、選択的CRHR1アンタゴニストに抗うつ効果。
神経免疫
- うつ病では炎症性サイトカインが上昇。
- C型肝炎治療薬のINF-αや転移癌治療薬IL-2がしばしばうつ状態を引き起こす。
- 抗うつ薬の慢性投与でIL-1、IL-2の上昇は消失。
- IFN-αが海馬神経新生を阻害、炎症性サイトカイン(IL-1、TNF-α、IL-6)は潜在的にHPA系を亢進。
- IFN誘発性のうつ病ではNSAIDが有効である可能性。
- IL-1受容体アンタゴニストに抗うつ効果が期待。
エピジェネティック機構
- うつ病が遺伝病ではなく、多くの因子により発症する疾患であるためで、遺伝病を研究する方法では、その原因を解明することが困難。
- エピジェネティックとは後天的DNA修飾(メチル化、ヒストン修飾)による遺伝発現制御。
- すなわち環境が遺伝子の発現を操作可能なレベルで修飾するということ。
- 虐待など質の悪い養育によって、グルココルチコイド受容体遺伝子のDNAメチル化が誘発し、発病脆弱性が起こる。
レジリエンス(Resilience)(回復力、抵抗力)
- 同じ程度の虐待を受けた子どもたちの中でも精神病理を表してしまう子と、健康に育つ子がいる。どうして影響を受けないのか?
- 本人に内在する回復力が賦活される因子とプロセスを見出す研究パラダイム。
- セロトニントランスポーター遺伝子のLタイプを持っている人は、Sタイプの人に比べて、養育環境や成長後のライフイベントのうつ病発症に及ぼす影響が少ない。
- よりよい養育環境を準備することで、将来のうつ病に対するResilienceを高めることができる。
- ストレスが加わると、Dehydroepiandrosterone(DHEA)というホルモンが副腎から放出され、HPA系の過剰活動を調節し、神経保護に働く。ΔFosB、ニューロペプチドYなどのResilience作用が注目されている。
新しい抗うつ薬
- NMDA(N-メチル-D-アスパラギン酸)グルタミン酸受容体拮抗薬(ketamine)は治療抵抗性うつ病に対して即効性しかし一過性効果。
- 筋萎縮性側索硬化症(ALS)治療薬でグルタミン酸放出抑制剤のriluzoleをketamineに組み合わせると、ketamineの抗うつ反応の持続時間が長くなる。
- NMDAを阻害することで別の受容体AMPA(α-アミノ-3-ヒドロキシ-5-メソオキサゾール-4-プロピオン酸)の活動を促進。2つの受容体に直接働きかける薬剤が、迅速かつ安定して抑うつ的行動を緩和する可能性。
- MCH(メラニン凝集ホルモン)は 、HPA 系を活性化し、ドパミン神経活性を抑制する作用によりうつ症状を引き起こす。MCH拮抗薬は即効性のある抗うつ薬として期待。