therapilasisのブログ

北総メンタルクリニック 院長の情報発信

ヴァン・デン・ベルクの「人間ひとりひとり」

『人間ひとりひとり-現象学精神病理学のアウトライン-』(1964)

  • ヴァン・デン・ベルクの、精神科患者と精神病理学への取り組みの基本的姿勢、すなわち、精神病理学は、一人ひとりの患者を、全体として―単に病める有機体としてでないことはもちろん、身体・心理的全体としての「人格」としてわかろうとするということである。人間全体としてとらえなければならぬということは、少しも珍しいものではない。しかし、相手が精神科患者である場合には、たちまち困難に遭過する。「正常人」にはわけのわからない「部分」がありすぎるからである。しかし、もしこうした部分を理解の努力の外におくとしたら、その人は「全体としての患者の理解」の努力を放棄したことになる。いわゆる正常な人間にとっては全く非現実的であり、理解を絶した患者の言葉や行動が、患者自身にとっては、正常な人間にとって現実が動かしがたいのと同様に、あるいはかえってそれ以上に動かしがたい。
  • 「私が患者といっしょに散歩しているとしよう。晴れた日である。太陽はさんさんと輝き、人びとは道路に溢れているが、その道路は私には少しもよそよそしくは見えない。患者の部屋からも全部見える。患者は私の見ているものをその通りだと確認するが、一方危険も感知する。われわれは外へ出る。そこで変化が始まる。戸口へ出たとたん、患者は私の腕をつかみ、顔色からは生気が失せ、さも不安そうにきょろきょろする。・・・私は極力おだやかに、道路には何も変ったところはなく、たいそう気持よくさえ感じられるよと話してきかせるが、彼は首を横に振り、決して納得しない。・・・・彼は、何の支えもないと感じているかのように、私の腕を力いっぱい握っている。額には汗がにじんでいる。まるで何か重大な危険が起こりそうな気配である。普通の人間ならば、こう聞きたいところだろう。“いったい何が起ったんですか?”道路にはおかしなことは何ひとつないのだ。けれども、そう言ってみたところで、患者にはきっと何の効果もないだろう。彼にはそのように見えないのだ。“あなたには外で起こっていることが何もわかっちゃいないんですよ”とさえ言いかねないのだ。」
  • 正常人にとっては、これは「認知の歪み」であり、非現実的である。したがって患者の体験をそのままのかたちで追体験したり、理解したりすることはできない。しかし、患者にとっては、それこそ現実そのものである。この患者のこうしたすべての特徴は、「彼が別の世界―普通の健康な世界と同じくらい現実的な世界なのだが―に住んでいるのではないか、と疑わせるに十分足りるものである。
  • 自分の見るものによって、どんなに脅かされているかを知れば知るほど、患者の語ることが彼自身にとっては現実なのだという印象は、強くなるばかりである。それが空想や妄想でないことは明らかである。ひとつの現実が彼の行為を規定する。・・・彼の世界の事物は、おそろしく気味の悪いものだった。そして彼は、家や街路、広場や野原が、当然もとの形と性質を維持し続けているのだし、それだったら自分の知覚の方が現実を歪曲しているのにちがいないのだと信じようとした。ところが、たとえ瞬時でも信じたいと望んだその考えが、そのとたん、非現実的で人為的なものに感じられてしまうのだった。・・・・彼の知覚の内容は、彼が語ったままの現実そのものだったのである。」
  • ひとりの患者を「全体として」わかるとは、彼にとってのこうした「現実」を無視したり、否認したりすることによって、ではなく、反対に彼が生きるそうした現実をできるだけそのままに理解することでなければならない。「外なる現実」を、患者の「精神内界」と切り離すならば、患者の行動や心理は決して現実的であると見なされることはない。
  • 「人間と世界との関係は、きわめて密接であり、心理学的ないし精神医学的吟味において両者を分離するのはまちがいである。もし分離されてしまうと、患者は、この特定の患者ではなくなってしまう。われわれの世界は、家庭であり、主観性の現実化である。もしわれわれが人間の存在を理解しようとするならば、対象である事物の言葉に耳を傾けなければならない。」「人間と世界との関係について問いが提出されたとき、その答は議論ではなく、出来事の記述であった。」
  • 精神分裂病の患者は、世界の破滅の兆候を見、聞き、そしてかぎつける。対象(物体)のなかには自分の没落を見る。人びとの話し声や風の吹く音には革命の近いことを聞く。パンの味の中には、悪意が世界の事物のなかへ入りこんできているのを見つける。もし精神科医が、その人は病んでおり、息者の見るものは、隠喩の途方もなく大げさな使用によって、つまり〈投影によって〉ゆがめられている、と言い切った場合、はたしてそうした観察事実と患者とを公平に扱っているだろうか。患者は病んでいる。ということは、妙な言いまわしだと思われるかもしれないが、〈患者の世界〉が病んでおり、文字どおり〈患者にとっての対象が病んでいる、という意味なのである。精神疾患を持つ患者が、世界がどのように見えるかを語るときには、端的に、しかもまちがいなく、自分自身の状態を述べているのである。」
  • 精神科医科ヴァン・デン・ベルクの関心が単に狭義の精神科患者や精神医学的現象だけにとどまらず、事物の変容、さらには人間性そのものの歴史的変容といったところまで及んでいくのも、基本的には同じ姿勢に根ざしている。彼の目ざす学問は単に精神医学というよりむしろ臨床人間学と呼ぶ方が良いように思われる。

 

 

(早坂泰次郎:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)