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ミシェル・フーコーの経歴と思想

ミッシェル・フーコーMichel Foucault、1926 - 1984

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Wikipediaより)

 

経歴

ミッシェル・フーコーは1926年、ポアチェで生まれ、高等師範学校で哲学を専攻した。次いで数年間、ドレーやビショーなどについて精神医学の理論と臨床を研究し、この間多くのフランスの精神病院や施療院に出入りした、という。それから、「社会福祉国」スウェーデンに渡り、次いで「社会主義国ポーランドに移り、さらに戦後の新しい「富める国」西ドイツに行って、各地で精神病院見学や、精神医学・医療に関する記録の検討を続けた。その後、彼は、クレルモン・フェラン大学、チュニス大学で教鞭をとり、1968年の5月革命後には新設のパリ大学ヴァンセンヌ分校に迎えられ、1970年には、コレージュ・ド・フランス教授に就任している。1984年57歳でエイズによって死去。

 

フーコーの思想

1960年代に入り、戦後世界の思想界は大きな転換を示した。フランスにおける「構造主義」の劇的登場は、その先鋭的・象徴的表現である。

火の手は、62年、レヴィ=ストロースの『野生の思考』の出現により、あげられた。これにより、戦後フランスの思想界をリードしてきたサルトルの権威がゆらいだのである。次いで64年には、同じレヴィ=ストロースの『神話研究』第1部が、65年にはアルチュセールの『マルクスのために』が、さらに66年にはラカンの『論集』が、という風に、「構造主義」的著作が続々と登場する。そしてこの同じ66年に、フーコーの『言葉と物』が公刊されたのである。

この書は、とくにその「人間主義の終焉」の予告とともに、大きな反響を呼び、以後、構造主義の「爆発的流行」をひき起こしたといわれる。

これは、戦後思想の転回をもっともラジカルに宣告する出来事であった。そして同時にそれは、明らかに、戦後世界全体のある変質、「管理社会」の登場に象徴される変質に響応する、言挙げだったといえよう。そしてまたこの転回は、68年に全世界的に頂点に達した新たな人民運動の昂揚とも、直接・間接に呼応し合うものであった。

ところでフーコーは、精神医学・医療という特定領域に対する同種の宣告を、より静かな形ではあるが、すでに61年になしとげていたのである。『狂気の歴史』である。この書は、従来の精神医学・医療に対してある根底的挑戦・批判をたたきつけた。そしてこの挑戦は、やはり60年代に顕在化した精神医療領域における地すべり――「地域化」の動向――と呼応し、さらにまた、60年代後半以降世界各地で展開された「反精神医学」的動向に先取り的に連動するものでもあった。

60年代にはじまった新たな地すべり、新たな運動は、思想運動をも含めて、全世界的に1ラウンドを終えた、と見える。構造主義「ブーム」の終焉も、このことに照応しよう。だがその今こそ、私たちはより厳密にこの運動の意味を検討し直さなくてはなるまい。その意味でも、フーコーは、依然として重要な位置を私たちの前に占めている。

 

フーコーは、「構造主義者」を名乗ることを拒否する。レヴィ=ストロースラカンらの非歴史主義的構造主義とは異なり、彼は歴史主義であり、新歴史主義者であると同時に新構造主義者でもあるといいうるのである。彼がもっともラジカルな構造主義者と呼ばれるのも、このことに由来しよう。

構造主義とは、「近代の知の目ざめた不安な意識」であり、近代の「意識的、主体的」な人間の解体を告知するものであるとすれば、それはまた、「管理社会」出現の自覚的告知でもあろう。つまりそれは、「システムとしての社会」が顕在化し、人間がむしろその中で生かされている、という自覚の告知である。では新歴史主義、考古学とは何か。それは、社会の諸局面がシステムをなしつつ絡み合い、しかも総体としてある時点に断絶的変化を遂げるという事態の表現であるとすれば、同時にそれは、新たな歴史的変動が、急激な歴史的地すべりが、出現しつつあることの自覚的告知であるともいうことができる。つまり今や私たちは、個の主体性よりもシステムを、歴史の連続よりもその変動(断絶)を意識せざるをえないところのある困難な歴史的激動期に立たされているのであり、そしてそこから、「近代」の意味を根源的に問い返さなくてはならない地点に立たされている、ということができるのである。「構造主義プーム」はこの認知の、意識的、無意識的な反響であったと見ることもできよう。

精神医学(医療)に対してもフーコーは、同質の問題をたたきつけた。精神病理学は決して中立でもなく、自足的な真理などもたない。「精神科医」も「患者」も、あるシステムの中で出会わされていたのである、と。そしてここでも、今や激動が、実践的にも理論的にも、はじまっている。

以上のラジカルな問題提起を承認した上で、なおかつ私たちには確かに、ある不満が残る。改めて主体とシステムの関係は何か。そして、システムと変動との関係は何か。そして、フーコーはこのような問いには答えを用意してはいないのである。

だが、そのような問いは、本来彼のみに向けられるべきものではない。その問いは、私たちすべてに向かっている。

 

(新居昭紀、森山公夫:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)