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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

フーコーの「精神疾患と心理学」

精神疾患と心理学』(1954)

  • 精神病理と身体病理とを同一の方法で分析することを拒否する。
    • この両者は、抽象作用の点、正常と病的の区別、病人と環境の関係からも、同一次元では分析しえない。
  • 精神の病の特殊性の分析は、まず「心理学的次元」においてなされる。
    • 進化発達という観点(ジャクソン、フロイト、ジャネ等)
      • 精神疾患を発達の特定の段階への「退行」としてとらえることは、病に対して、ただ一般的可能性という地位しか与えない。
    • 個人の心理的な生活史
      • 病にその必然性とその個人的な形態との原因を与える。
      • 「退行」とは、過去への単なる「自然的転落」ではなく、「意図的な逃走」。
      • 過去が現実化されるのは、「ただ現在を非現実化する」ためである。
      • 根底には不安がひそんでいる。
    • 実存的了解が必要
      • 不安をさらにつき進めて理解する
      • 現象学の課題
        • 「病的意識を了解すること」
          • 病的意識が常に「二重の照合」をもつこと
        • 「病的宇宙を再構成すること」
          • 「転落世界化」(ビンスワンガー)にその本質があること
  • 「狂気と文化」の関係における探究の弁証法
    • 文化がその中でいかに狂気を位置づけるか
      • 精神疾患の歴史的形成」
        • ルネッサンス期において西欧文化は狂気に対し受容的であったが、17世紀半ばに突如として、狂気は疎外され、隔離収容されるに至った。
    • 逆にいかに狂気の中に社会が自己を表現するか
      • 「総体的構造としての狂気」を問う。
      1. いかにして一般的かつ原始的な「狂気の経験」が形成されるのか
      2. いかにしてそこに「区分」の施策が生ずるのか
      3. いかにしてそこで狂気に対する「知覚の枠組」がつくられるのか
      4. 「狂人の存在に対する耐容度」が生ずるのか。
  • この4つの土壌の上にはじめて、「狂気に対する医学的意識」が展開される。

    • このような歴史的理解の上に立って、改めて「発達進化」、「生活史」、「実存」の問題をとらえ返す時、はじめて狂気の意味と、逆にまたその狂気の中に現われている社会の意味とを、総体的にとらえることができる。
      1. なぜある種の文化の中でしか病的な退行は起こりえないのか
      2. 人間が人間について矛盾した経験をするのは何故か
      3. 人間がこの文化的世界に自己の祖国を発見しえないのはなぜか等

    こうしてはじめて、「総体的構造としての狂気」に接近しうる。

    「実際には、ただ歴史においてのみ、精神疾患の具体的なア・プリオリの条件が発見される」

    • フーコーは、既存の精神病理学、身体病理学、社会学、社会科学、そして歴史学の成果の接点に立ち、それぞれの境界をつき崩す形で、いわばその新たな次元での統合を試みようとしている。文化(歴史)を通して狂気をとらえ直し、逆にまた、狂気を通して文化(歴史)をとらえ返すことにより、両者は全く新たな相貌を獲得するのだという、きわだってラジカルな視点がすでにここにはある。

(新居昭紀、森山公夫:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)