ジャネとフロイトの相違
ジャネの理論に対しては精神分析の側からの反論が起こった。精神分析派はジャネのいわゆる心理的緊張性の思想を認めることができず、またジャネが心理的緊張性の減弱と呼んだ障害を、精神分析の側は自我の減弱によるものと主張したからである。両者の意見の相違を要約すれば、「自我が分裂するのは、それが弱いからである」というジャネに対し、精神分析側は、「自我が弱いのは、それが分裂したからだ」と主張するということになろう。換言すれば、初期障害を欠損の結果だとするジャネに対し、フロイトはこれを葛藤の結果だとするのである。葛藤状況は自我の減弱を招来して、不安を起こしたりするが、ジャネはこの不安を、単純に「対象のない恐怖」とはせず、「目前の対象のない恐怖」であるとする。
このように見てくると、ジャネの考えの中には、フロイトや精神分析などにおけるような、力動的視点が少なかったことは確かなようである。そしてこれがジャネとフロイトの間の主たる争点であったように思われる。
ジャネは上述の欠損の原因として、第一に体質を考えるが、しかし彼はこれだけを重視したのではなく、体験や疲労や感染や中毒や外傷などによって起こる「後天性精神衰弱症」の存在をも認めており、また感動も、その強さにより、あるいは反復されることにより、精神衰弱症の重要な原因的要素になると認めている。心理学出身者である彼が、心因性の主張者に対し、精神衰弱ないし神経症の病像の器質因性を擁護するような立場をとっているのは注意すべき点であろう。ジャネの学説を紹介したドレーの記述には次のような部分がある。「おそらくフロイトに対する永年にわたる競争意識から出たことであろうが、ジャネは、心因性に対して、時と共にますます拒否を強くしていった」と。
こうしてジャネは追々と神経症の器質因性に傾いていった。物質的基盤のない疾患というものを考えるのは論理的でないというのが彼の立場である。しかし彼は神経症の原因として解剖的病変を考えたわけではない。彼は、脳の血流や栄養に何らかの異変があるのではないか、心理的緊張性に影響を与える特別の器官があるのではないか、そしてそれは脳皮質内か内分泌系あたりにあるのではないか等々を考えたのである。彼はまた当時の研究傾向を反映して、心理的緊張性の調節部位として脳幹を考え、これに大きな興味を抱いていた。
生物医学的素養のむしろ少ない心理学者であるジャネが、このような器質因性の考え方をするようになったのは、当時のフランスの神経病学―あるいは医学全般―の潮流の影響を受けた結果ではないかと私は考える。そしてジャネが抱いていたような生理学的あるいは病理学的の考え方の傾向は、神経症学のみならず精神医学全般にわたり、その後、連綿と引き継がれて、今日なおフランスの精神病理学者の間に流れているように思われる。―アンリ・エイの器質力動学説などはその尤なるものと言えよう。
ジャネの「精神衰弱症」の学説は、一部の人々を除き、臨床精神医学全般にはあまり大きく採り入れられなかったようである。だが、それにもかかわらず重要なことは、ジャネに至って、ようやく神経症学が単なるヒステリー研究に限局されなくなったこと、また神経症学が純粋な神経病学者の手をはなれて、精神病理学または広く精神医学の主要な対象となったということである。
(内村祐之:精神医学の基本問題1972参照)