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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

固着、無意識、抵抗、抑圧

固着、無意識、抵抗、抑圧

私は、特に注意を要すると私が考えるもの、フロイトの真意がはっきりわかると思われるもの、フロイドの思想のうち、従来見落とされがちであったと思われるものなどを以下に抜粋することとした。

強迫神経症のもつこれらの症状、これらの観念と衝動― それはどこから来るのかわからないが、とにかく現われて来て、この症状以外は正常な心的生活からのあらゆる影響に抗して振る舞い、あたかも未知の世界から来た非常に力の強い客であり、死すべきものの群れにまじりこんだ不死なるものであるかのような印象を患者に与える― こうした観念と衝動との存在は、通常の心的生活から隔離された、ある特別の領域のあることの最も明らかな証拠であります。これらの症状から、心の中に無意識なるものの存在を確信させる、迷うことのない一本の道が通っています。そしてそれなればこそ、意識心理学のみにたよる臨床精神医学は、これらの症状を特別な変質様式の徴だと称する以外には、いかんともする術をもたないのです」。

「・・・・分析的解釈によって、神経症の症状にある意味を与え得るという可能性のあることは、無意識的の心的過程の存在することに対する、揺るがしがたい証明です」。

「・・・・しかし症状が成立するためには、この意味が意識されていないことが必要なのです。意識的過程からは症状は形成されません。また無意識的なものが意識されるようになった時には、症状は消失せざるを得ないのです」。

「症状形成は、表面に出ないでいる、ある別のものの代理なのです」。

以上は、「固着と無意識」の章からの抜粋である。次の「抵抗と抑圧」の章からは短いものを引用しよう。

「症状にあれほど悩み、しかも近親者までをも悩ませている患者、症状から解放されるためには、時間と金銭と心労と自己克服のあれほど多くの犠牲を敢えてしようとする患者が、癒りたくないばかりに、救い手に対して反抗するのです。何とも有りそうもないことのように聞こえるではありませんか。しかし事実はその通りなのです」。

「・・・・それは問題の心的過程が、意識にまで、のしあがって来ることに対して、激しい反抗が起こったにちがいありません。それゆえにこそ、この過程は無意識のままで止まったのです。それは無意識のものとして、症状を形成する力を持っているのです。そして同じ反抗は、無意識的のものを意識的のものにしようとする分析療法の努力に対しても、またまた反抗するのです。これを抵抗として、われわれは感得します。抵抗を通じて示される、この病的の過程には、抑圧という名を与えることにします」。

「・・・・分析をするたびに、私どもは患者の性的体験と願望とに、たどりつくでしょう。そしてその都度、それらのもつ症状が、同じ意図に奉仕していることを確認するにちがいありません。その意図というのが、性的願望の充足であることを私どもは知らされるのです」。

「・・・・これらの人々は、現実が彼らにその性的願望の満足を許さない場合に、その挫折体験のために、何らかの手段で病気になるということです。いかに美事にこの両方の結果が一致するかを皆さんはお認めになるでしょう。症状が、実生活で得られなかった満足に対する代償的な満足であることは、このとき初めて正しく理解されることができるのです」。

そしてフロイトは次の二章、すなわち「人間の性生活」と「リビドーの発達と性愛の組織」において、古くからよく知られていた性的倒錯を例にとって、性とリビドーの発達に言及し、倒錯的と見えるものも、その傾向は何びとにも見られるものであり、ことにこれは幼児期からの発達を仔細に観察すれば明らかであるという、フロイト理論の基本的の問題を説明している。そしてパラノイアと同性愛、強迫神経症サディズムとの関係にも触れているが、とりわけ彼は近親相姦的傾向に基礎をもつエディプス・コンプレックスを重視する。

「・・・・リビドーの発達の転回点は、すべての性的の部分欲動が性器の優位の下に従属し、したがって性愛が生殖機能に服従するときです。それ以前は、言って見れば支離滅裂な性生活で、個々の部分欲動が器官快感を求めて、独立して活動している時期です。この無統制状態は、前性器的体制が始まることによって緩和されてきます。最初がサディズム的肛門愛期で、その背後にあるのが、おそらく最も原始的な口愛期であります」。

エディプス・コンプレックスを、神経症患者がしばしば苦しめられる罪責意識の最も重要な源泉の一つと見てよいことは、全く疑いの余地がありません」。

「・・・・(愛の対象を母親から他に移すという)この解決は、神経症患者にあっては全然成功していないのです。息子は一生涯、父親の権威に屈したままで、彼のリビドーを他人である性対象に転移させることができません。この関係を変えて見れば、同じことが娘の運命ともなり得るわけです。この意味において、エディプス・コンプレックスは確かに神経症の核心たるに価するものです」。

内村祐之:精神医学の基本問題1972参照)