心理退行理論
フロイトは催眠を放棄したものの彼の弟子の中には催眠精神分析(hypnoanalysis)の発展に尽くした人達もいる。それは催眠理論の中では心理退行理論(psychological regression theory)と呼ばれている。
Merton Gill(1914-1994)
Margaret Brenman
マートン・ギルとマーガレット・ブレンマンは、ヒルガードと同様に催眠を変性意識とみなし、無意識内の概念が自然に意識へと流れやすくなる状態であるとした。催眠の本質については、精神分析の立場から被験者と誘導者との間の転移関係とみなし「自我支援のための退行」であり、適応退行(adaptive regression)と定義した。
また、彼らは催眠誘導で非意図性が強調されるのは、自我による意図的反応を抑制し、それに代わる適応退行としての非意図的反応を促すことを目的とするためであり、すなわち、催眠では言語と理性に基づく現実的な二次過程思考反応が影を潜め、イメージや直感、象徴など非言語的な一次思考過程反応が際立つということになる。
しかし、こうした適応退行も自我全体には及ばず催眠による退行は部分的な自我に絞られ、現実機能を保つ自我は絶えず活動している。その結果、トランス中でも催眠者との言語を通じたコミュニケーションが可能となる。催眠状態の自我が適応退行した部分としない部分の二重構造であるという考え方は、ヒルガードの新解離理論における「隠れた観察者」に類似している。
Erich Seligmann Fromm(1900 - 1980年)
彼らに次いで分析的立場から催眠理論を進展させたのはフロムである。
彼は、自我と催眠との関係を実証的に解明し、催眠の特徴を自我受容性(ego receptivity)であると結論づけた。自我受容性が高まると、通常の意識状態に伴う注意や思考、判断、問題解決といった機能が低下し、代わって自己の内面体験と自己を取り巻く外的刺激に対して開放された弛緩状態になる。これはオーエンが指摘した「理性判断の低下」と「猜疑心の中断」が特徴とされる意識状態に他ならない。
さらに、非言語的なイメージによる一次過程思考の活発化(内面体験への開放)と、催眠暗示に反応しやすくなった(外的刺激への開放)状態である。ショアはこの状態を「全般的現実志向の衰退」と名付け催眠トランスに特有の現象とみなしている。
その後の研究で自我受容性は、心理的没頭、催眠深度の知覚、イメージの鮮明感、催眠感受性と強い相関を示すことが確認されている。
ところで、退行とは心理機制が発達過程の時系列に沿って実際に逆戻りする現象(時間的退行)なのか、それとも言葉のメタファーにすぎず、単なる見せかけの現象(心理構造的退行)なのか、従来から議論のあるところである。
ナッシュは、催眠で生じる退行は、心理構造的退行であるとして、以下の特徴を挙げている。
- 認知過程の変化(一次過程思考への傾向)
- 情動の活発化
- 身体感覚の変動
- 誘導者に対する転移感情
- 主体性の中断による非意図性の亢進