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エミール・クレペリンの経歴

エミール・クレペリンの経歴

エミール・クレペリンEmil Kraepelin, 1856 - 1926 

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1920wikipediaより) 

 

19世紀は、精神医学の歴史において、新たな歩みが開始された変革の時代だった。とくにその後半は、「宗教的、哲学的な物の見方に対する自然科学的な観察の勝利」が告げられ、希望にあふれた時代だった。クレペリンは、その時代の中心を歩み、現代精神医学体系の基礎を築いて、今なお大きな影響を与え続けている。 

クレベリンは1856年にメックレンブルク州のノイリシュトレリッツで生れ、フロイトと同じ生れ年である。彼はヴュルツプルクの医学生の頃にすでに精神医学に興味を抱き、『急性疾患の精神病発症に及ぼす影響について』という懸賞論文で賞を得ている。医学部卒業後1878年ミュンヘンで脳病理学の権威グッデンの助手となり、1882年、ヴィルヘルム・ヴントの研究室で実験的研究を行った。そのかたわらで、1883年精神医学教科書の発端となる精神医学摘要を書いたが、自分の精神医学の知識と臨床経験の不十分なことを思い知らされ、シュレジエン州のロイブス病院の医長職につく。その後1885年、ドレスデンに移って市の精神科医長職を引きついだあと、1886年、30歳でドルバト大学の教授に招聘された。さらに1891年にはハイデルベルクの教授に招かれ、アルツハイマー、アシヤッフェンブルク、ガウプ、ニッスル、ワイガント、ヴィルマンスなど、後にそれぞれ精神医学で名をなした共同研究者たちを得た。わが国に、クレペリンの精神医学体系を導入した呉秀三(1865-1932)がハイデルベルクで学んだのも、この時期である。クレベリンのハイデルベルク時代は、彼の精神医学教科書でいうと第4版(1893年)から第7版(1904年)に至る時期に相当し、この間に彼の二大精神病論が形成される。 

1903年ミュンヘン大学に招聘され、アルツハイマーとガウプが彼についてきた。また多くの秀れた研究者とともに活発な研究活動を展開し、その成果は主として教科書第8版、第9版に収められている。世界中から多くの精神科医が彼の名声をしたって参集し、ミュンヘンはドイツ精神医学のメッカとなった。 

クレペリンは1926年、精神医学教科書第9版の改訂を著わして間もなくこの世を去り、オスワルト・ブンケが後任についた。 

 

(内沼幸雄:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)