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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

ヒプノティズムの誕生③

ヒプノティズムの誕生③

 

ブレイドスコットランド人で、1815年エディンバラ大学で外科医の資格を取り、イギリスロイヤルカレッジのメンバーにもなっている。

1841年、ブレイドマンチェスターで、フランス人シャルル・ラフォンティーヌによるメスメリズムの興行を見て、強い衝撃を受ける。彼は、この現象がトリックや動物磁気によるものではなく、心理生理学的な現象で暗示によるものであると考え、実験によってそれを証明した。翌年、英国学術会議に論文を提出するが、これは拒否された。

ブレイドは、神経学の素養もあり、メスメリズムに代わり、神経催眠(neuro-hypnotism)、後にはヒプノティズム(hypnotism)と呼称したが、それは眠りを意味するギリシャ語に由来する。

彼が用いた催眠導入法は凝視法と呼ばれる。被験者を一点に集中させて目の疲れを促し同時に暗示を入れるもので、現在でも用いられる古典的催眠手法の一つである。彼の手法の欠点は覚醒法にあり、被験者の耳の近くで手を叩いたり、四肢を叩いたり、眼球を圧迫するといったショック法であったために、しばしば頭痛などの残遺症状が訴えられた。

ブレイドは、外科医として十分な名声を得ており、催眠によって名声を得ることは消極的であったが、イギリス国内では「催眠の父」と呼ばれている。1997年には催眠療法の普及発展を目的とした「ジェイムズ・ブレイド協会」が設立されている。

ミルトン・エリクソンは「ブレイドは、催眠が全て暗示によるものだという結論に達した。それは科学的、精神学的な最初の成果だった。彼は、催眠の技術と、催眠トランスにより発生する様々な現象について詳細に研究し、驚くほど現代的かつ広範囲な論文を膨大に残した」と語っている。