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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

ヤスパースの現象学

ヤスパース現象学

  • ヤスパース現象学が、ビンスワンガーら人間学派諸家のいう現象学とは内容的に大きなへだたりがある。
  • 彼の現象学は意識内容に生起するものをありのままに記述し秩序づけるという立場であって、本質直観によって「事象そのものへ」至ろうとするのではない。
  • 「患者が現実に体験する精神状態をまざまざとわれわれの心に描きだし、近縁の関係に従って考察し、できるだけ明確に限定し、区別し、厳密な術語をつけること」を課題としており、患者の意識の中に存在するもののみを先入観なく見るのであって、さまざまの既成の理論、解釈や判断の仕方を排除する。
  • この「まざまざと心に描きだし」たものに対して感情移入ないしは静的了解(発生的了解は含まない)が加えられ、これによって意識における諸現象の比較、反復、追試が可能となる。
  • 現象学的研究の対象になるものをヤスパースは次の3群に分けている。
  1. 自己の体験で知っているもの(追想錯誤など)
  2. 自己体験の現象の亢進、減退もしくは混合としてとられられるもの(偽幻覚など)
  3. 了解しながら思い浮べることが充分にできず、類推や比喩によってのみ理解され、その了解不能性から受ける衝撃によって気づかれるもの(させられ思考など)。
  1. 客観的時間、つまり時計ではかれる時間知
  2. 主観的時間体験
  3. 交らねばならない根本状況としての時間性

これを彼は「時間との交通」という。

  • 現象学で問題になるのはこのうち主観的時間体験であって、客観的時間は作業心理学に、時間との交通は了解心理学にそれぞれ属する主題であるとし、この主観的時間体験に関して、これを「説明したり演繹(普遍的命題から特殊命題を導き出すこと)したりすることはできず、ただ記述することができるのである」との記述現象学の立場をはっきりと表明している。そしてこの見地から時間の病理は次のような主題のもとにとりあげられている。
  1. 瞬間的経過の意識
    • ①迅速、緩慢、②時間意識の喪失、③時間体験の現実性の喪失、④時間停止の体験
  2. 今過ぎ去ったばかりの時の厚みの意識
  3. 「過去と未来に関連した現在の意識
    • ①既視感と未視感、②時間の不連続性、③月や年があまりにも速く進んでゆく、④過去の収縮
  4. 未来意識。未来が消失する。
  5. 時間の停止、諸時間の混合、時間の崩壊などの分裂性体験
  • ここには、日常臨床において聴取できる時間体験のさまざまの異常がうまく整理されており、彼の言うように「心的なものの多様性が一目してわかり、そのつど達せられた境界まで見通すことのできる配列」が、時間に関して行われているのを見ることができる。
  • これに対して、ビンスワンガーにおいて時間はどのように扱われているであろうか。ここには「現象学的試論」と副題のついた「うつ病と躁病」のうつ病に対する考察を取り上げることにする。うつ病においては精神分裂病者や躁病者と同じく経験の首尾一貫性ないし連続性の障害が見られる。これをヤスパースの言葉でいえば「時間体験の現実性の喪失」、「時間停止の体験」、「過去と未来に関連した現在の意識」や「未来意識」の障害、さらには「時間の停止、諸時間の混合、時間の崩壊などの分裂性体験」ということになろう。うつ病の場合にはこの中でもとくに、「時間体験の現実性の喪失」や「未来意識」の障害などが現われる。これに対してピンスワンガーは現存在分析の立場から、これらを現存在の先験的生起の機能停止であるとし、この機能停上の構造の本質が時間性の諸契機にあると論ずる。
  • ヤスパースが体験される時間の諸相を記述したのに対して、ビンスワンガーは、本質直観によってその時間を構成する先験的構造に至ろうとするのである。ここで彼はフッサールの『内的時間意識の現象学』に依拠し、過去、現在、未来と呼ばれる時間は主観的時間意識の志向的構成契機から構成されるとする。この契機は未来志向、現表象、過去志向と名づけられるものから成るが、これらはたえず同時に統一的全体として作用しており、単独で個別に働くということはない。たとえば現在に関する思念が可能なのは、そこに現表象ばかりではなく、かならず過去志向と未来志向の契機が同時に作用しているからである。
  • 直観を全く排除した現象学はもちろんあり得ないわけであって、ヤスパースも「現象学で問題なのは、多様性のなかに同一なものを再認できるように、患者によって直接体験されたものの簡潔な直観を行うことである」というように、記述内容を観察者の意識にもたらすものは直観である。ただ彼の場合には本質直観ではなくて、事実的な心的生活の直観なのである。
  • こうした彼の現象学における厳正な制限は、彼がこの考えをはじめて精神病理学の方法として導入した当時の学界の情勢に対する彼のきびしい姿勢を反映したものであろう。
  • 当時の精神医学界にはあいまいで空疎な概念や理論が氾濫し、その混乱と不毛性はヤスパースを慨嘆させたのであった。こうした中で何よりもまず何が事実であるかを明確にとらえそれを厳密な方法論に基づいて整理することこそ彼の課題だったわけである。このことが、現象学的方法においても慎重すぎるとまで見えるような態度を彼にとらせることになった一因であろう。
  • 彼の現象学は静的了解として、心的事象のいわば時間的横断面の理解を目差すものであるが、病者の了解にはこの静的了解だけでは不充分であって、時間的な経過における心的生活の継時的連関という側面がとりあげられねばならない。つまり静的了解は不可避的に発生的了解へとすすむのであるが、これは了解心理学の課題となる。

 

(宇野昌人:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)