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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

精神疾患の3つのモデル

 

精神疾患の競い合う3つのモデル

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精神力動的モデル

 

  • 精神力動的モデルは、フロイトの著作から生まれ、他の精神分析研究者がフロイトのもともとの説に、追加・修正をしてきた。
  • 基本的な原理のひとつは、マイヤーとヘルムホルツが広めたエネルギー保存に関する考え方である。すべての独立したシステムは放出可能な一定量のエネルギーを持ち、いかなるシステムの多様な部位からのエネルギー放出であっても、平衡と恒常性維持の力が働く。
  • フロイトはこれらの考えを心の働きに応用し、『科学的心理学の計画Project for a Scientific Psychology』に書いた。心は他のシステムと同様に一定量の心的エネルギーを持つ。人の心は平衡を保とうとする種々の物理的力の働き合いを検討することにより理解でき、これはフロイト派の心理学が「精神力動psychodynamics」と呼ばれる由来である。
  • フロイトは心の動きを3つの領域、無意識、前意識、意識に分けた。無意識は「一次過程の思考」という原始的な様式の思考が特徴で、抑圧された考えや満たされない願望の貯蔵庫である。彼が観察した精神疾患の多くは精神的平衡状態のバランスの乱れに由来する。患者は原始的思考を統制するためや意識の中に受け入れ難い満たされない願望を無視するために、そして不快な記憶を抑圧するために、非常に多くの精神的エネルギーを費している。これらの無意識の欲望が解放され意識化されたときに、しばしば病気は治るのである。
  • 無意識はいくつかの異なる方法で意識化されうる。フロイトは初期に催眠を用いた。後に彼は心に浮かんできたものを自由に述べる「自由連想法」を考案した。これらの方法と基本的な知見をもとにして、エディプス・コンプレツクスや幼児の性の理論、イド、自我、超自我に精神を区別する考えなどの精神分析理論を発展させた。
  • 精神力動的モデルにより探求される対象は、人間の精神(つまり心)である。心は抽象的な、あるいは理論的な概念である。それは脳の働きのすべてを代表しているであろうが、フロイトの後の精神力動学者たちは精神機能を脳機能に結びつける努力を行なわず、精神機能を記述する一連の考え方を定義することに力を注いできた。
  • 彼らの仕事は精神分析の分野でも、一般の人々が使う言葉としても広く用いられている、たとえばイド、自我、超自我/無意識、前意識、意識/ 一次性、二次性過程/リビド、葛藤、欲動、そして力動的葛藤などの言葉や概念を生みだしてきた。これらの言葉や概念は記述的にも理論的にも役に立つものであるが、その身体的基礎については知られていない。
  • 科学的な方法として精神分析を見ると、一人の患者、または似た特徴を持つ少数の患者群についての精神的機能不全を引き起こす心の働き方の注意深い研究から、その技法は成り立っている。精神分析研究は直感的で創造的な過程に特徴がある。精神分析研究者は心の深層に横たわるものを理解しようと注意深い観察を行なってきた。彼らは表面的にものごとを受けとめるのではなく、一見明白にみえることは最も真実から遠いという考え方に傾く傾向を持っている。
  • 内省と主観的体験の報告がその手段となっていて、臨床の場では患者は自由連想を行なったり、声を出して考え、あるいは質問に答える。ロールシャッハ検査のような「投影法検査」も無意識を調べる手段として用いられるが、研究の対象となる素材は常に人の言語的表出(子供の場合には遊び行動)である。
  • 精神力動的モデルは精神の軽症の病気の研究と、基本的に健康な人の適応機能を促進することに力点が置かれている。これらは不安や軽症の抑うつを伴う広い範囲の神経症患者や性格障害を持つ患者の治療に適用される。精神力動的モデルは、統合失調症などのより重症な病気にも適用されてきたが、その結果は必ずしもよいものではなかった。
  • 治療技法として精神力動的モデルは精神療法を用いることを強調する。治療は週に数回ずつ行なわれるが、やや広くこれを適用する場合には、週に1回か、2週に1回は必要とされる。精神力動学的治療者は、心理的治療を妨げるので薬物療法は不適当と考える者もあるが、時々薬物療法を行なう者もいる。
  • 精神力動学の諸説は、他の科学的理論と同じようには検証することができない。それらは定量的というよりは、より哲学的である。にもかかわらず、フロイトと彼の後継者たちは現代の心理学と精神医学という現代科学のひとつの大きな分野を築いた。
  • 精神力動理論は人の心の働きを理解し、強迫観念や強迫行為、不安などの幅広い病気の治療に効果的に用いられてきた。それらはある種の神経症の原因の役立つ説明を生み出し、彼らを治療する方法についても示唆を与えてきた。近い将来精神医学においてより医学的方向づけが強まるにつれて、精神分析学者たちは精神力動的原理の研究に科学的な方法論と実験計画を用い始めるようになるであろう。このアプローチは精神力動的見方をさらに確固としたものにしていくであろう。

 

行動学的モデル

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(Find A GRAVEより)

ジョン・ワトソン(John Broadus Watson, 1878 - 1958)

 

  • 行動主義はアメリカにフロイトの考えが紹介されたすぐ後に、ジョン・B・ワトソンによって創始された。ワトソンの門弟たちは、フロイトの精神力動的考え方に対抗して彼らの理論と研究を展開した。
  • 人を対象とする研究にふさわしいのは、人の心よりも行動である。行動主義者たちは唯一真実なもの(少なくとも研究に値するもの)は、見ることができ、観察できるものだけであると仮定した。人の心やイド、無意識を見ることはできないが、人々がどのように行動し反応し、ふるまうかを見ることはできる。人の行動から心や脳を推測することは可能だが、それらは研究の第一の焦点ではない。人々がどう考えるかとか、どう感じるかということでなく、どんな行動をするかということが研究の対象となる。同様に、行動主義者たちは心や脳を異常行動の原因とは考えない。彼らはこのような異常行動は学習された習慣であると考え、どのように学習されたのかを確かめることに力を注いだ。
  • 科学的方法として行動学的モデルは、慎重に統制された動物と人の実験を用いることを強調する。実験は限定された問題を解明するために前もって定義される。たとえば、ある行動を維持するために、正の強化がどのような頻度で与えられるべきかを検討する。このような実験により、統計的比較が可能な数字のデータが得られる。評価と定量化が可能となるには、適切な多数の例の検討が必要である。
  • 研究の対象となるのは常に行動である。行動主義者は心や、その純化された等価物である精神と魂については興味がないので、人の行動の維持や強化を生み出す条件の推論は動物の研究に基づいて行なわれる。精神力動理論の立場から、時に動物モデルを用いることが試みられたが、このアプローチは成果を生んでこなかった。その一方で、動物の研究は行動学的アプローチにとって、その基礎となる重要な知見を生み出してきた。精神力動学者と同様に行動学者たちは、正常な人とともに「精神疾患」とされる問題をかかえた人々の行動に潜むメカニズムの解明に関心を持った。
  • 行動学的モデルは、幅広い様々な患者に用いられる傾向がある。このモデルは、過剰な飲酒や肥満、性的問題などの行動の障害と衝動制御の障害の治療に最も効果的であろう。また、不安の治療に非常に有効であり、時には統合失調症などのより重い病気の治療にも有益と思われる。治療は患者に新しい行動を学習させるという単純明快な理屈から成り立っている。
  • 治療の主な方法のひとつは行動を変える新しい方法を患者に教育することである。これらは時に「条件づけ」と呼ばれる。ひとつのアプローチは、負の条件づけ、すなわち患者がそれを嫌うような状況に置き、それを嫌うことを訓練するものである。たとえば、アルコール症患者に酒を与えたのち、嘔吐させる薬のような不快な刺激を引き続き与える。このような治療をかさねた後、患者はもはや酒に魅力を感じなくなる。残念なことに負の条件づけの効果はかなり早期に消失するので、このタイプの治療はあまり多くは用いられない。
  • 正の条件づけはより効果的である。「反対条件づけ法」として知られる方法は、恐怖症や不安症にしばしば用いられる。弛緩療法では患者は心地よいリラックスした状態が得られるまで体の様々な筋群をいかにして系統的に常に弛緩させるかということを訓練される。弛緩の技法を学んだ後に、患者は恐怖や不安を引き起こす状況に近似した状態に置かれ、そして思い通りの自分として振舞えるように心と体を安定させるようにと指示される。患者は刺激にさらされたもとでも、意識的に自分をリラックスさせることにより、恐怖や不安を押さえる方法を徐々に学習していく。
  • 行動療法の治療者は精神力動を志向した治療者と同様に、薬物が患者の新しい行動制御の学習を妨げるかもしれないと考え、薬物は可能なかぎり使わないようにする傾向がある。
  • 精神力動理論と同様に、行動主義は人々がなぜそのように行動するのか、また人々がどのように考え感じるかということについても、われわれの理解を豊かにしてきた。それが狭く用いられるときには、行動主義は無味乾燥で機械的であるかもしれない。すべての潜在的に良いものと同じように、悪い結果を導いたり、無分別に、また想像力に乏しいやりかたで使われかねない。しかし行動主義は、時に空想的になりがちな精神分析の理論づけに対し、健全な中和剤としての役割を果たしてきた。その治療の方法はアルコール症やその他の嗜癖などの、あるタイプの精神疾患に対し有益である。

 

 

生物学的モデル

 

  • 医学的」モデルとも呼ばれる生物学的モデルは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、クレペリンなどの精神科医や神経学者によって形作られた。
  • 生物学的モデルは「神経科学」の発展により形作られてきた。神経科学は脳の構造と機能、思考、感情や行動の関連を理解しようという共通の目的を持った関連諸領域を結合したものである。これらの諸領域には、神経解剖学(脳構造の研究)、神経病理学(脳構造の障害により生じる病的過程の研究)、神経薬理学(脳に対する薬物の効果の研究)、神経化学(脳機能を支配する化学的過程の研究)、神経心理学(様々な心理的または精神的機能と脳構造の関連の研究)、神経内分泌学(内分泌腺の機能と脳機能との関連の研究)が含まれる。
  • 神経学と精神医学との境界は時に不鮮明となる。19世紀にこれら2つの分野が発展していた時代には、医師はこれら2つの間を自由に移動していた。しかし、専門分化が進むにつれて、神経学者はパーキンソン病のような明確な脳障害による病気や、脳卒中や脳腫瘍などによって生じた、明らかな粗大な損傷によって起きた病気により重点を置くようになった。これらの病気は通常、麻痺や振戦、脱力などの明らかな徴候を伴う。一方で、精神医学は行動、感情や思考の異常として主に表われる病気を自分の責任分野とするようになった。長い問これらの異常を脳の特定部位の問題として調べることはできなかったが、知識が集積されていくにつれて、いずれ脳のあるタイプの機能異常が確かめられるであろう。精神医学で現在起きている生物学的革命は精神疾患の身体的な原因の究明に大きな力を注いでいるのである。
  • 神経学的な病気であるパーキンソン病についての理解の進展は、生物学的な志向を持つ精神科医のかかえる問題と目的の両方の理解を助けるものである。パーキンソン病はジェームズ・パーキンソンによって、1817年に報告された。脳構造を研究する技術の進歩によって、この病気にかかった人は「黒質」という脳の特定の小さな部位の神経細胞の脱落を伴っていることが明らかになった。この部位は、身体運動を支配する脳の構造である「運動系」の一部を構成している。
  • 神経解剖学者による黒質の萎縮の発見は、その部位にあるかもしれない神経化学的な異常を研究するよう神経化学者たちを促し、パーキンソン病では黒質に通常認められるドパミンが欠乏していることが明らかになった。そこで神経薬理学者たちは、パーキンソン病に対し、ドパミンの前身であるL‐ドパを投与することを勧めた。L‐ドパの使用によってパーキンソン病の治療は革命的な変化を受けた。L‐ドパを投与された患者はやっかいな症状、特に体が固くなってしまう症状が顕著に改善したのである。ほとんど何もできなくなっていた患者の多くが、今日ではほとんど正常の生活をすることができるようになっている。
  • パーキンソン病の例は、神経科学が一群の関連諸領域の結びつきから成り立っていることを示している。つまり、ある領域は別の領域に貢献し、また影響し合い、ある分野の発見は他の分野の研究者や臨床家にしばしば用いられるのである。ある神経科学者は、神経学や神経化学などの、ある特定の分野で仕事をしているであろうが、関連領域間の相互の影響が非常に大きいので、神経科学の他のすべての分野の発展に常に気をつけていなければならない。
  • 現代の精神医学は精神疾患の基盤にある解剖学的異常および生化学的異常の発見に向かって、またそれらの治療における薬理学的発展に向けて急速に進歩している。現在のところ精神疾患のどれをとっても、パーキンソン病のようには十分に理解が進んでいないが、生物学的立場の精神科医たちは、うつ病統合失調症などの精神の主要な病気においても、パーキンソン病と論理的には同様に、脳の構造的理解から治療の発展を導く原因の理解へ進んでいくことを期待している。
  • 生物学的立場の精神科医は、臨床家と神経解剖学者そして神経病理学者たちからなるミュンヘンの精神医学部門を主宰していたエミル・クレペリンの真の後継者と言えるであろう。
  • 精神の主要な病気は医学的疾患である。それらは糖尿病や心臓病、癌と同じように医学的な病気と考えられるべきである。このモデルでは内科医や神経学者がするように、それぞれの患者がかかえる病気を厳密に診断することを強調する。内科医が患者の息切れの訴えを聞いたときには、彼は頭の中でその訴えを起こす原因となる様々な病気を思いうかべ、直ちに「鑑別診断」を開始する。生物学的モデルの立場に立つ精神科医は同様のことを行なう。患者がたとえば意欲減退、不眠や幻聴のような症状を訴える時には、精神科医はその患者が何らかの病気を持つことを仮定し、そして患者がどんなタイプの病気を持つかを判断するために詳細な病歴の検討と身体的検索へと進んでいくのである。
  • これらの病気は主要には生物学的要因によって生じ、これらの要因の大部分は脳内に存在する。脳はその他の身体機能をモニターし、制御するとともに、思考、記憶、感情、興味や人格などのすべての心理機能の源であり、貯蔵庫である身体器官である。
  • 科学の一分野として、精神医学は精神疾患を引き起こす生物学的要因を同定しようとする。この研究は、神経科学のすべての側面を含むものである。精神疾患が生化学的異常や神経内分泌学的異常、脳の構造的異常、そして遺伝学的異常により引き起こされるものであることを示唆する非常に多くの証拠が蓄積されてきている。
  • 患者の臨床評価には、注意深い病歴の聴取、症状経過の縦断的観察、身体的検索や時には種々の臨床検査が含まれる。このモデルはそれぞれの違ったタイプの病気はそれぞれ違った原因を持つと仮定する。したがって、正しい診断をつけることは大変重要である。それぞれの特定の病気を理解し、その原因を研究し、そして適切な診断を行なうことは病気の症状や経過そして患者の他の家族が似たような問題をどの程度持つかという点についての厳密な評価を通じて行なわれる。
  • 生物学的モデルは、より重篤精神疾患の研究と治療に重点を置く傾向を持つ。これには、うつ病や躁病、統合失調症重篤な不安障害、認知症を含む。これらの病気は生物学的原因が最もありそうと考えられるので重視されるのである。
  • これらの病気の治療には「身体療法」を用いることが強調される。「身体療法」は、様々な治療法を含むものであるが、その共通の特徴は身体的なものということである。最も頻繁に用いられる身体療法は薬物療法と電気けいれん療法(ECT)である。
  • これらの病気はその起源が生物学的なものと考えられるので、その治療は基盤にある生物学的なバランスの乱れを修正することとみなされる。しかし、すぐれた内科医と同じように生物学的立場に立つ精神科医は、精神疾患が社会的経済的機能にも影響を及ぼすことを認め、これらの問題にも同様に注意をはらう。たとえば、抑うつ的で性的な欲望が欠如している患者では夫婦関係の問題が生じてくる可能性がある。理念上は生物学的立場に立つ精神科医は、患者の全体像を治療しており、患者の生活のすべての側面で援助することに力を注ぐべきだと考える。
  • 多くの精神科医が生物学的モデルに復帰していることは、画期的な出来事といえる。精神科医のもとへ医師と話すことを期待して訪れる人は受診するたびに診察の時間が短いのに驚くであろう。自由連想法と違って、患者は症状や家族歴、これまでに受けた全般的な医療についての一連の質問を受けるであろう。精神科医は患者の母親や幼児期の体験についてどのように考えているかを質問しないかもしれない。そのかわりに患者の症状についての詳細な経過を1~2時間聞いた後、医師は処方箋を取り出し、診断と処方の理由、薬物の副作用や処方量について簡潔な説明をし、そして1~2週間後に再び受診する意思があるかどうかを患者に尋ねるであろう。患者が再びその医師のもとを訪れたときには医師は患者がよくなっているかどうか、彼の症状が患者の仕事や家庭、そして社会生活にどのように影響しているかを判断するために、たかだか15~20分程度の時間を費やすだけであろう。
  • 精神科医のもとで十分な時間話したり話を聞いたりすることを期待している患者にとっては、精神医学とほとんど同義語と見なされるまでになっている精神力動的アプローチと生物学的アプローチがまったく違うものであることを患者が理解するまでは、生物学的立場の精神科医を訪れた患者たちは傷ついたり、無視されたと感じることが多いであろう。他方、患者がそれになじんでいけば、多くの患者は生物学的モデルを心地よく受けとめるであろう。それは精神疾患の性質について非常に有益なものを多く含んでいる。
  • 精神疾患は「悪い習慣」や意思の弱さによるものではない。精神疾患は病気であるから、意思の力だけで治せるものではない。重いうつ病や躁病などで苦しんでいる多くの患者は、彼らの症状について罪の意識を持ったり、そのことで責任を感じたりする。罪の意識は病気を悪くさせるだけである。彼らの病気が脳の化学的異常やその他の身体的異常によって起きているかもしれないと患者が認識すれば、彼らは罪の意識から免れることができる。患者はもはや自分のことを質が悪く価値がない人間とは考えない。なぜならば、ただ精神疾患という病気を持っているということなのだから。
  • 精神疾患は悪い親や悪い伴侶のために生じるものではない。患者が自分の症状についての罪の意識から免れるのと同時に、同じことが彼の友人や家族についても言える。うつ病統合失調症の子供を持った親は、子供に対して間違ったことをしたのではないかということで自ら悩む必要がなくなる。うつ病を持つ患者の夫や妻は、患者に多くを要求しすぎたり、また逆に要求しなさすぎたために、病気にさせたと感じる必要がなくなる。
  • 身体療法は多くの精神疾患の治療に非常に有益な治療である。過去30年間の生物学的精神医学の進歩によって、特徴のある病気として区別して認識されるようになってきた、それぞれの病気に対応して、様々な薬物療法が発展してきた。これらの薬物療法の多くは、大変効果的である。夜は眠れず気持ちは沈み、食欲も無くなってしまった(たいてい、みじめで悲観的な気持ちにとらわれ、自分の症状を治すことはできないと確信している)患者は、抗うつ薬の服用によって、その症状が数週間のうちにほとんど完全に治ってしまうことにしばしば驚く。
  • すべての生物学的治療が奇跡的な治癒をもたらすわけではないが、医師と患者のどちらも、過剰な高い期待を持たないということが重要である。多くの身体的疾患は薬物療法によって改善されるが、薬物療法で完全に治るものは非常に少ない。ペニシリンは肺炎を起こす細菌を殺す、実に「奇跡的な薬物」である。しかし、感染症や外科的に摘除できる一部の病気を除いて、人を苦しめる病気のほとんどは医師によって改善はされるが、完全な治癒がもたらされるものではない。アスピリンは関節炎の痛みを取り、ニトログリセリン狭心症の痛みを和らげる。抗うつ薬の治療は関節炎に対するアスピリン狭心症に対するニトログリセリンと比べて、うつ病に対し「治癒」により近いものをもたらすのであるが、あまり多くのものを期待しすぎないことが重要である。
  • 精神医学は人々に対して何ができるかについて、過去に誇大広告気味のことをしてきた。生物学的精神医学は人々に対し、ある援助(それはしばしば大変大きな援助なのだが)をするが、すべての患者に対して奇跡的な治療を確約するものではない。

 

(ナンシー・C・アンドリアセン:故障した脳-脳から心の病をみる-紀伊國屋書店(1986第1刷、1998第11刷)参照)