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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

ヒプノティズムの誕生①

ヒプノティズムの誕生①

  • ジョン・エリオットソン(John Elliotson、1791 – 1868

1837年にロンドン大学の医学部教授ジョン・エリオットソンがフランス人のメスメリスト(ジュール・デュポット男爵)の実演をロンドンで見て、その結果に驚嘆する。

エリオットソンは、メスメリズムが「人間の器官の神経学上の謎を解く重要な手がかり」になると考え、自分の患者にメスメリズム治療を施して多大な成果をあげ、大きな反響を呼ぶ。彼は、自分の家でもデモンストレーションを行い、ロンドン・メスメリック診療所(London Mesmeric Infirmary)を創設し、メスメリズム下で行われた数多くの手術の詳細を自身の発刊した雑誌The Zoistに発表する。

しかし、「動物磁気」の存在を信じた説明を行ったことから医学界からの反発を招き、その後は、医学雑誌への投稿を拒絶され、ロンドン大学教授や王室内科外科学会会長の資格もはく奪され、名誉回復への努力もむなしく1868年逝去した。

エリオットソンのよき理解者で、The Lancet誌の創設者であるトーマス・ウェイクリーは、当初は彼のメスメリズムに関する研究や講演をサポートしていたが、エリオットソンの考え方があまりにも非常識的なものにまで広がってしまったために、ついにはメスメリズムは、いんちき療法であり、その患者も詐欺師であると批判するようになる。結局それが、メスメリズムとその後の催眠療法を今日に至るまで医学の傍観者に追いやる端緒になってしまったのかもしれない。