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北総メンタルクリニック 院長の情報発信

フーコーの「狂気の歴史」

『狂気の歴史』(1961)

 

われわれに対してフーコーがこの書物の中で、つきつけていることの要点は次のようなものである。

  • 現代の精神医学、心理学では、狂気そのものをとらえることは不可能になっている。狂気ははるかに遠く疎外されてしまっていて、精神医学は、狂気についての独白(モノローグ)でしかない。狂気は沈黙してしまっている。
  • 狂気がどのように取り扱われてきたかの歴史は、狂気が理性といかに遠く隔てられていったかという歴史であり、それはまた、狂気に対する監禁の歴史でもある。したがって、監禁の実践の歴史的沈殿物が、現代の精神医学そのものとなっている。
  • 狂気の取り扱いの歴史は3段階に分けられる。
    1. 狂気と理性が同居し、狂気が日常の風景の中にとけこんでいた文芸復興期までの時代
    2. 狂気をその中に含む非理性経験一般が、社会より疎外されていく、大いなる閉じ込めの古典主義時代
    3. その非理性経験からさらに狂気が疎外されて実証精神医学が成立する現代にいたる時代
  • 現代精神医学の記念碑的出発点であるピネルやテュークの精神病者開放の仕事も、こうした監禁の流れに逆らうものでなく、むしろその功妙化、徹底化である。

以上のようにして、19世紀にいたって確立した実証精神医学は、狂気の本性を明らかにしたのでは全くなく、狂気ははるか彼方へ疎外されてしまった。どのように、いかに疎外されていったかという実践が狂気の「心理」を形成し、精神医学を形成したのであると、フーコーは結論する。   

 

(新居昭紀、森山公夫:現代精神病理学のエッセンス-フロイト以後の代表的精神病理学者の人と業績-参照)